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愛らしさに満ちています!「うなゐの友」

愛らしさに満ちています!「うなゐの友」

招き猫やダルマ、こけしなど、実家の棚にずっと飾られているとか、地方のお土産屋で買ったとか、誰しも一度は見て触れたことがある郷土玩具。
毎年11月の関東を中心に開催される酉の市などの熊手もこれに当たるのでしょう(実はむかし、全国で開催されていると思っていたのですよね)。

郷土玩具とは、日本各地で古くから自給自足的に手作りでつくられ、主として子どもたちの遊び道具としてそれぞれの土地で親しまれてきた玩具で、そのほとんどが江戸時代から明治期にかけて生まれました。木地師や織物職人などが仕事の合間に自分たちの子どもに与えるために作ったことが始まりといわれており、旧藩当時の各城下町などを中心に発生発達したものが多く、郷土色ゆたかな特徴をもっています。

内容的には子ども向きの遊び道具的なものの他に、神社や寺院の祭礼縁日や門前市などで売られるものが目だち、いずれも安産・子育て・悪病災難除け・開運出世・招福長寿・商売繁盛・豊作祈願などの縁起物や、神社から授与される護符的なもの、節供飾りや四季の年中行事にちなんだもの、またマスコット的性格をもったものなど、民間信仰やその土地の風俗・慣習・伝説と結び付いたものが多く、材料は生活周辺から比較的たやすく入手できる安価なものが用いられています。
なお、明治期以後の新しい材料と機械的な製作技法による近代玩具とは区別されています。

ちなみに、「郷土玩具」の名称は、「土俗玩具」「地方玩具」「大供玩具」「諸国玩具」などと呼ばれていましたが、1935年(昭和10年)頃に統一されました。

おもちゃ尽、郷土玩具
「おもちゃ尽」郷土玩具(詳細年代不明)出典:Flickr

明治期に入ると、郷土玩具類は近代玩具の普及もあって衰え、子どもの遊び道具としてもなくなっていきますが、それと入れ替わりに大人たちが収集して楽しむ趣味愛好運動が台頭してきました。これは当時の欧米心酔主義に反発して、日本古来の伝承玩具に郷愁を感じることから起こったようです。
その代表者の一人が、東京の玩具研究家「玩具博士」と呼ばれた清水晴風(しみずせいふう)でした。

清水晴風は、全国各地の伝承的玩具の収集を志し、1891年(明治24年)に玩具画集「うなゐ(い)の友」を発行し、明治末期から大正時代にかけて愛玩趣味を広めました。
91年の初編以来、1913年(大正2年)6編まで刊行し、没後は日本画家で人形収集家の西沢笛畝(てきほ)が継ぎ1924年(大正13年)10編まで担当し完結、日本の郷土玩具資料としても近世玩具研究の文献として貴重な存在となっています。
なお、「うない」とは幼児の髪型のことで、子ども自体も指す言葉だとか。なので、「うない(子ども)の友」とは玩具のことになります。

下記は、メトロポリタン美術館で公開されている清水晴風「うなゐの友(1891-1924年)」のたくさん紹介されている中の一部です。廃絶したものも少なくないようですが、現在でも見られる郷土玩具、その素朴な表情や、心が温まるような愛らしさに満ちています。

メトロポリタン博物館のオンラインコレクションで無料公開&ダウンロード可能になっていますので興味がある方はチェックしてみてください。

「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画

牛の絵に因んで…2021年の干支は「辛丑(かのと・うし)」ですが、緩やかな衰退と痛みを伴う幕引き、新たな息吹が互いに増強し合う年になりそうだとか。つまり、辛いことが多いだけ、大きな希望が芽生える年になることを指し示しているそうです。

2021年という年は転換期となるのかもしれません。
コロナを克服することができ、その中から数々のイノベーションが生まれ、希望に満ちた年になるとよいですが。

「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画
「うなゐの友」清水晴風 画

戦後は観光ブームや民芸調の流行などから趣味的な鑑賞用玩具として普及していきました。また伝統的製品を模倣した観光土産(みやげ)の新興まがい物郷土玩具類も多く出現しています。
そして現在は、材料の高騰や後継者不足などで郷土玩具の業界は存続の危機にさらされていて、いずれ機械的な製作技法によるキレイで均一な郷土玩具しか見ることができなくなるかもしれません。
郷土玩具特有の手作りで均一ではないデザイン性が、人の心を魅了するんでしょうけどね。

出典:郷土玩具
出典:うなゐの友
出典:日本玩具博物館

平安時代に蔓延した疫病を払った赤い牛の伝説や、会津地方で起きた大地震で壊れた円蔵寺の虚空蔵堂の再建のときに活躍した赤い牛の伝説など、由来には諸説ある福島県会津地方を代表する郷土玩具の「赤べこ」。年賀切手の図案に採用されたことから、全国的にその愛らしさが知られるようになりました。赤い体は魔よけの効果があるといわれています。

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