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人の頭をかたどって蒸したものが「饅頭」⁈

人の頭をかたどって蒸したものが「饅頭」⁈

饅頭は和菓子店はもちろん、温泉地、お祝い事など様々な場面で活躍する和菓子です。
特に“あんこ”が好きな自分は、旅先でも湯気あがる温泉饅頭を見つけるとふらふら吸い込まれてしまいます。
また「まんが日本昔はなし」にて、“おらーあんころもちが食いてーなー”というセリフ、その魅力的な「あんころ餅」というフレーズに心惹かれたものです。
そんな「あんこ」や「饅頭」についてのお話です。

小豆・あんこ・大福・今川焼

小豆(あずき)でできた甘い「あんこ」、餡(あん)は豆類を軟らかく煮て砂糖を加えたものをいいますが、大陸から伝わったときには饅頭に入れる具を指していました。
最初に伝わった饅頭には肉のあんが入っていましたが、僧侶たちが肉食を避けるため、小豆で代用したのが現在のあんの始まりといわれています。

小豆もまた、3世紀から8世紀の間に大陸から伝わったとされますが、縄文時代の遺跡から小豆の炭化種子が発見されており、その起源は日本という説が近年の研究で有力になってきているそうです。

余談ですが、世界には豆を使った煮込み料理が沢山ありますが、日本の用途別の消費割合をみると、雑豆全体では約6割が“餡”の原料として利用されています。小豆やインゲン豆のほとんどは、あんや菓子原料として、またエンドウ豆やソラ豆は、あん以外に煎り豆としての利用割合が多いそうです(日本豆類協会、調べ)。大豆は豆腐や納豆や味噌などに加工して食べることが多いので、豆類の料理は少ない(見かけない)ことがわかります。
やはり、主食が米なので、大豆は加工しておかずに、それ以外の豆は甘くしてお茶請けなどにと用途が分かれたのかもしれません。

「二十四好今様美人 甘い物好」三代歌川豊国 画
「二十四好今様美人 甘い物好」三代歌川豊国 画(1863年)出典:国立国会図書館

24枚の美人画シリーズのうちの一つで、おやつを楽しむ様子が描かれています。絵の中には「甘い物好 あまいくちはに ついのせられて くらひこんだる さくらもち」と書かれています。左上の枠内には、竹籠に入った桜餅、右下の器には砂糖菓子の有平糖(あるへいとう/砂糖を煮て作られた飴の一種)や打菓子のようです。

饅頭の起源としては古代中国にて、三国志の時代(3世紀)に蜀の諸葛亮が「川が荒れているのを鎮めるために人柱を立てて、川の神に人の首を切って捧げなければならない」という当時の風習を改めるため、小麦粉で作った皮に牛と羊の肉を詰めたものを人の頭として捧げたのが饅頭の始祖と伝えられています。名前についても、先述の代物が「蛮頭(ばんとう)」と呼ばれていたものの時代が経つにつれ段々「饅頭(まんとう)」となまってきた、というのが定説です。

これに類似したものは、奈良時代に日本にもたらされた唐菓子類のうちの、餛飩(こんとん/今日の中華肉まんじゅう)にみることができます。ですが、饅頭は鎌倉後期に中国から帰国した禅僧によって伝来したものといわれ、日本に帰化した林淨因(りんじょういん)が奈良で作り始めたともいわれています。
漢字表記は「饅頭」が一般的ですが、「万頭」「万十」「曼頭」などと書くこともあります。

肉の代わりに餡の材料を小豆を使うようになったものの、当初、味付けはもっぱら塩でした。そのうち、天然の甘味料として日本にも生えていた甘葛(あまずら)という蔓草で小豆の餡の味付けをする者がでてきたようです。
その後、鎌倉時代から室町時代あたりになると、大陸との貿易が盛んになりだし、その中で砂糖の輸入が少しずつ盛んになっていきます。室町時代は、武士や貴族などが茶をたしなむなど、食生活にも余裕が出てきた時期で、茶の湯の流行に伴い和菓子が発達し、その中で、今に通じるような砂糖を用いた「あんこ」が現れるようになったと考えられています。
ちなみに、あんこがふんだんに使われている羊羹(ようかん)も、伝来当初は羊肉などを入れた煮こごりだったとか。

「深川佐賀町菓子船橋屋(一部)」歌川国芳 画
「深川佐賀町菓子船橋屋(一部)」歌川国芳 画(1797-1861年)出典:江戸東京博物館

羊羹といえば、現在では練羊羹が主流ですが、それは江戸時代後期からのこと。それまでの羊羹は、餡に小麦粉と葛粉を加えて蒸した蒸羊羹でした。練羊羹は寛政(1789-1801年)のはじめに江戸で作られて口当たり日持ちのよさで人気を集め、諸国に広まりました。文化年間(1818-1830年)には、深川佐賀町の船橋屋織江の練羊羹が評判になりました。尾張藩の御用菓子屋だったとか。

南蛮貿易で砂糖は本格的に日本に流通するようになりましたが、鎖国令が出てから輸入は制限され、砂糖の国産化を進めます。江戸中期になると国内で生産されるようになり、後期には砂糖が普及して、現在のような甘い小豆あん入りの饅頭が一般化したようです。そして、きんつば焼や大福などの和菓子が作られるようになり、あんは和菓子の主役になっていきました。

日本最古の菓子書と言われる『御前菓子秘伝抄(1718年)』には、こしあんに近い製法が載っているようで、当時の主流がこしあんだったか、または、御前菓子にふさわしい高級なあんこと言えば、こしあんの方だったかもしれません。

「近世商賈尽狂歌合」石塚豊芥子 画
「近世商賈尽狂歌合」石塚豊芥子 画(1852年)出典:国立国会図書館
天神橋北詰東角(大坂)福屋「饅頭切手」
天神橋北詰東角(大坂)福屋「饅頭切手」(年代不明)出典:Waseda University Library

大阪市中央区高麗橋三丁目にあった菓子屋。1702年(元禄15年)の創業で、「虎屋大和大掾藤原伊織(とらややまとだいじょうふじわらのいおり)」と称し、目玉商品は饅頭でした。芝居の顔見世狂言に積物として用いられたり、旅人が土産を買い求めたりと盛況で、江戸時代の上方で有名でした。そして、1777年(安永6年)最初の商品券だと言われている菓子切手を発行しています。菓子切手は別名“饅頭切手”と呼ばれ信用は絶大で、大坂内外で贈答用として盛んに用いられました。当時の饅頭といえば二、三文が相場でしたが、長崎出島の白砂糖に泉州日根野の大粒大納言小豆を使い、一つ五文と高いながらも繁盛したそうです。
後に廃業してしまいましたが、現在は「鶴屋八幡(つるややはた)」として伝統を引き継いで営業をしているそうです。(※この饅頭切手は、虎屋のものではなく、福屋というお店のものです)

江戸時代の菓子製法書『菓子話船橋(1841年)』には、求肥(ぎゅうひ)饅頭・吉野饅頭・旭饅頭・朧(おぼろ)饅頭・腰高饅頭・玉子饅頭・薯蕷(じょよ)饅頭・葛(くず)饅頭などの作り方があり、酒(甘酒)で小麦粉をこねてつくる饅頭の皮の作り方も詳しく記されています。

なお、「あん」に「こ」を付けた「あんこ」は、明治時代から現れた言葉だとか。
あずきの名の由来は、「あ」は「赤色」、「つき」及び「ずき」は「溶ける」の意味があり、赤くて煮ると皮が破れて豆が崩れやすいことから「あずき」になったとされ、大豆より小さい豆なので漢字では小豆(しょうず)と書き、あずき(大和言葉)と読むようになりました。
そして、大粒で光沢があり、特に風味の良い小豆の「大納言(だいなごん)」、謂れは、“殿中で抜刀しても切腹しないですむ”ところから、煮ても腹割れしない小豆を「大納言小豆」と呼ばれるようになったことからきています。

それまで饅頭といえば蒸し饅頭が主流でしたが、江戸時代以降に、カステラなどの南蛮菓子から影響を受けた日本独特の焼き饅頭が生まれました。
例えば、今川焼(大判焼き・おやき・回転焼き・回転饅頭とも)は、江戸時代の安政年間(1854-1860年)、神田の今川橋近くで焼き菓子屋が売ったのが始まりです。なお、明治時代は庶民のおやつとして大流行し、森永製菓創業者の森永太一郎氏が「焼芋屋と今川焼がある限り銀座での西洋菓子の進出は困難」と言うほどに盛んに売られていたとか。

現在ではバターやミルクなどを材料に使うなど、洋菓子の要素が加わった多彩な洋風饅頭も広まっています。

饅頭

日本人の文化や行事に深く関わってきた豆や饅頭。そして「あんこ」のぼてっとした見た目の重み感、口に入れると一気に甘さが広がり、何度食べても飽きがこない。羊羹、きんつば、饅頭、おはぎ、あんみつ、大福…。多様な和菓子のいずれにおいても、あんこは重要な役割を果たしています。

出典:日本豆類協会
出典:まんじゅう
出典:饅頭

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