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見て楽しい!食べて美味しい!日本の弁当文化

見て楽しい!食べて美味しい!日本の弁当文化

日本人にとっては身近な存在の「弁当」、食事を家の外に持ち運ぼうとした動機は、もとは田畑の仕事や旅など長時間食事ができない事態に備えるためで、現代では“節約のため”という経済的理由も大きいに違いありません。
でも、弁当に対する日本人の並々ならぬこだわりは、そんな便宜上の理由だけでは説明できないような気がして、では弁当の何がそれほど人びとを惹きつけるのでしょうか。
日本が誇る文化の一つで海外でも通じる「bento」、探ってみたいと思います。

「弁当」の誕生

“弁当”という言葉が登場する以前、古く「日本書紀」に、強飯(こわいい)と呼ばれる蒸したもち米を乾燥させた「糒(ほしいい)」という水や湯で戻して食べる保存食の記述があり、猟、戦、農作業や旅の携帯食として欠かせないものがありました。

平安時代になると、「屯食(とんじき)」と呼ばれる“おにぎり”の元祖が登場します。屯食は儀式などに際して、防腐効果のある竹の子の皮や笹など木の葉に包んで下級役人に配られました。また、防人(さきもり)など兵士の携帯食としても使われたそうです。

余談ですが、東日本では「おむすび」、西日本では「おにぎり」と呼ぶことが多いらしく、それは、手で握ったものを「おにぎり」「握り飯」、笹の葉や竹の皮などでくるんで紐で結んだものを「おむすび」と文化の差が起因らしい。

また同じ時代、「樏子(わりご)」あるいは「破籠(わりご)、破子(わりご)」という弁当箱の原型ともいうべき持ち運び用の器が登場します。これは、檜の薄い板を用いた浅い箱で、中にはおかずとご飯を分けられるように仕切りもつけられていました。これが後に「面桶(めんつう)」と呼ばれ、曲物(まげもの)の弁当箱“めんぱ”、“わっぱ”などへと発展していきます。いわゆる「曲げわっぱ」です。

弁当の語源は、中国の南宋時代(日本の鎌倉時代)に作られた造語「辦當(べんとう)」で、意味は“分ち當(あ)てる・あらかじめ用意して當てる”、そもそも食べものとは関係なかったことがわかっています。食べものと紐づけられたのは、1603年ポルトガル語の日本語辞書「日葡辞書(にっぽじしょ)」にBento(ベンタウ、便当、弁当)という語が記載がされ、解説には一種の箱で引き出しがあり食物を入れて携行するもの(今の遊山箱弁当)と記されており、安土桃山時代だと考えられていてます。
また、織田信長が安土桃山城で大勢の人に食事を配る際に一人分の弁当を発明し、“配当を弁ずる”から弁当と名づけたという説もあります。

行厨(こうちゅう)弁当

そして、1712年頃にできた「和漢三才図会(わかんさんさいずえ/図説百科事典)」に「行厨(こうちゅう)」というものがあり、飯・汁・菜・酒また食器を収め野外での食事に用いる持ち運び容器で、“郊外で人を饗応する際、人数分に配当して、うまく事を弁じる、だから弁当というのだろうか”といったことが書かれていて、これを俗に弁当とよぶと記しています。

用途により形を変えた「弁当」

持ち運び容器は1人用と大人数用の両側面を持ちながら、様々な形に発展していきます。

1人用では、旅や戦、農山漁村などの仕事へ持っていく実用のために使われ、めんぱ、わっぱの他、ワラやイグサを織った「苞(つと)」や「柳行李(やなぎごうり)」など、その土地にある自然素材を使った簡素なものが多かったそうです。
また、江戸時代には武士の通勤用の弁当「手持(たじ)弁当」や、城や寺に出かける特別な日に持っていく「御登城弁当」が登場します。

大人数用の持ち運び容器はというと、室町時代に中国から入ってきた「食籠(じきろう)」があります。円形や方形や六角形などの蓋付きの容器で、一段の物から重ね物、また入れ子の物まで形状は様々、漆や蒔絵を施したものが多く唐物として珍重されました。
これが後に、日本の重ね容器「重箱」につながったとされます。さらに重箱は持ち手つきの「提重(さげじゅう/提げ重)」となり、酒宴に必要な徳利や盃や皿などが組み込まれ、精緻な細工が施された物が作られました。
大人数用では、室町時代から“遊山”つまり花見や紅葉狩りなど四季折々の行楽に使われ、容器も手の込んだ瀟洒(しょうしゃ)なものに発展していきました。

色々な弁当箱
竹の皮に包んだおにぎり、柳行李(やなぎごうり)弁当、めんぱ弁当箱、遊山箱弁当、幕の内弁当、松花堂弁当

他にも安土桃山時代に大きく花開いた茶の湯文化にともなって登場した「茶弁当」と呼ばれる茶道具一式を備えたものや、江戸時代後期には歌舞伎など観劇の幕間に食べる「幕の内弁当」、明治時代に入ると鉄道の発展とともに「駅弁」ができ、昭和初期には懐石料理を一箱に詰めた「松花堂弁当」が登場します。そして平成15年(2003年)頃から各空港ごとの独自色を打ち出した「空弁」が販売され始めました。

ちなみに、日本で最初の「駅弁」は、1885年(明治18年)に梅干入りのおにぎり2つとたくあんを添えた竹の皮で包んだ弁当で、栃木県宇都宮駅で販売されたそう。また、明治から昭和30年代まで陶器でできた汽車土瓶と呼ばれるお茶もありました。(前回の記事、土瓶から変化したもの)

素材・機能性を求めた時代

昭和のアルマイト製弁当

今もある昔ながらのアルミニウム製の弁当箱は、1897年(明治30年)頃から製造されるようになりました。ただ、アルミニウムは酸化しやすく梅干しを入れているとそのうち錆びて穴が開いてしまうため、程なくアルマイト加工を施した弁当箱も誕生します。
写真は、昭和レトロな金魚のイラスト入り富士波印のアルミの弁当箱、ロボタン(1966年頃のアニメ)コップとケロヨンの箸箱。

1902年(明治35年)には、瀬戸引き(琺瑯/ほうろう引き=鉄製の表面を琺瑯質でおおうこと)の弁当箱、翌年にはアルマイト製スリムで小さい弁当箱など、戦後(戦中除く)しばらく経つまでアルマイト製は弁当箱の主流でした。
1950年代になって汁もれ防止のパッキン付きの弁当箱、プラスチック製品も徐々に出回るようになります。
1960年代半ばには、魔法瓶の構造を応用したジャー式の保温弁当が登場。1970年代半ばには「ほか弁」や「コンビニ弁当」が誕生し、弁当は“家で作って外で食べる”だけでなく“外で買って家で食べる”ようにもなりました。

最近では、錆に強いステンレス製、保温や保冷に適したタイプ、昔ながらの曲げわっぱや漆塗りの弁当箱も根強い人気を誇っています。
出典:米食文化研究所/弁当とは
出典:膳と弁当箱の歴史
出典:弁当
出典:弁当箱
出典:駅弁資料館/駅売り緑茶

花見弁当

「弁当」にこだわる訳

日本で弁当文化が発達した理由として以下の2点を挙げています。

第一に冷めても味が変わりにくい粘りの強いジャポニカ米が主食であったこと。第二に焼もの、煮もの、和えものといったおかずが中心で、とくに煮ものはダシのうま味が効いているうえ、冷めたほうが味が染み、保存性も高まること。さらに付け加えるなら、汁気が少ない料理が多いことも、詰めやすさの一因といえるだろう。

『聞き書 ふるさとの家庭料理 19巻 日本のお弁当』(農山漁村文化協会、2003年)

そうした食材や調理法によるところはもちろんですが、やはり自然が豊かで美しい風景を愛でる行楽や娯楽と深く結びつき、小さな箱に入った見目麗しい弁当を目で見て食べて舌で味わいながら楽しみながら食事をし、それが心地よかったのではないか、だから現代に至るまで日本ではかくも多様な弁当文化が育まれてきたのかなと感じます。
風光明媚なところで大勢と囲むお弁当、電車の中で皆と談笑しながら食べるお弁当、あるいは職場で学校で食べるお弁当、家で食事をする以外のちょっとした非日常感を弁当に見出しているから、これほどまでに弁当に拘り惹きつけるのかもしれません。弁当の周辺は、何気に賑やかです。

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