昭和レトロな玩具・家電・雑誌・家具・建物などなどをご紹介

小皿に盛った数グラムの塩化ナトリウムの塊「盛り塩」が効いた⁈

小皿に盛った数グラムの塩化ナトリウムの塊「盛り塩」が効いた⁈

会社が青山一丁目にあった頃、よく赤坂見附まで歩いて行くことが多かったのだけど、途中ちょっと高級そうな料亭や料理屋などの入り口隅に、風情がある盛り塩が置かれてあるのを見たり、また、以前家でポルターガイスト現象やラップ音に悩んでいた頃、知人から盛り塩を置いたらいいと言われたこともあったりして、気になっていたのですよね。なので、この盛り塩にどのような意味があるのかなど調べてみることにしました。

神様に献上するお食事「神饌」
神様に献上するお食事「神饌(しんせん)」、お供えする品目は、お米を始め、お酒、お餅、海魚、川魚、野鳥、水鳥、海菜、野菜、お菓子、お塩、お水などあります。出典:画像 

「盛り塩」とは厄払い・魔除けや縁起担ぎの“まじない”として塩を皿に盛っておくこと。
飲食店では、顧客を店に呼び込むための縁起物として商売繁盛を祈願して盛り塩をすることが多いようです。このような塩のことを「お清め塩」「口塩」「塩花」と呼ぶこともあり、歴史が古い京の町家や祇園町では、これは一種の浄めの儀式らしく、海水で浄めるのが本当なのですが、海の遠い京都では盛り塩を代用してきたそうです。 

盛り塩の由来は茫漠としており判明していませんが、神道の神事・葬儀(江戸時代に仏教の葬儀が一般化した)から来たのではないかと云われていて、この風習は、奈良時代にはすでにあったとされます。

『古事記』では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国へ行き、その穢れ(けがれ)を除くために海水で禊祓い(みそぎはらい)をした記載がありますが、この海水で体を洗う「潮禊(しおみそぎ)」が、水で体を洗い清めるということと、塩で清めるということに分かれ、塩そのものが穢祓いの力を持つと考えられるに至ったようです。

なお、神仏に詣(もう)でるときや祈願に先だって穢・罪・厄災などを除き清めるための儀礼を「祓(はらえ)」と言い、仏事を前にして行う行為を「垢離(こり)[仏教用語]」と言うそうです。
「禊(みそぎ)」とは身体を濯(そそ)ぐ(清める)という意味(身削ぎの意からとも)で、その中でも特に海や川の水につかって身体を清める行為を言うようですが、近年ではスキャンダルに見舞われた政治家が、しばらく転地で静養したのち、白い鉢巻きなどを締めて神妙な表情で選挙に打って出て、のんきな支持者のおかげで当選を果たしたとき「禊が済んだ」などといって、昔のスキャンダルはすっかりチャラになったつもりになる…といったシチュエーションで用いられるような(汗。

「賢女烈婦伝 初花」歌川国芳 画
「賢女烈婦伝 初花」歌川国芳 画(1842年)出典:大英博物館

初花は浄瑠璃『箱根霊験躄仇討』に登場する飯沼勝五郎の妻。足が不自由になった夫の仇討ちを叶えるため箱根権現に願掛けで百日間「滝行」をしている絵。滝行(水行とも。奈良時代に始まった)とは垢離の一種で、ある目的(解脱・霊験・法力・活力を得る、悩みの解除・祓い、武道の技量向上など)を達成すべく滝に入って行う日本の伝統的な修行のこと。密教・修験道や神道の修行方法の一つとして行われています。

葬儀や法事という仏事に関わった時、お清め塩を撒いてから自宅に入るという習俗や、招かれざる客が帰った後に塩を撒いて験を担ぐという習慣が残っていたりするのも、塩には穢れ祓いの力が備わっていると考えられてきたとされます。
また、瀬戸内海周辺から九州にかけて、おしおい(お潮井?)といって毎朝竹の手桶(ておけ)に海水をくんできて家の内外を清める風習があり、この手桶を門口にかけておく所もあるといいます。他にも、神輿(みこし)を海中に担ぎ入れる祭りもあり、遠方の神社から海浜にまで行列をつくって神幸(しんこう)する祭礼や、正月の初宮詣でに浜から海草をとって神前に捧げる例もあります。
神道では神に捧げる祭壇には必ず塩が置かれ、また、炉・かまど・井戸などの清めや、奉納神事であった相撲では必ず清めの塩が土俵に撒かれます。

このように塩には霊験あらたかな力があると信じられた要因には、塩の持つ殺菌力も関係しているのではないかと思われ、例えば、戦国時代の戦果としての敵武将の首は、塩桶に入れられ論功行賞が終わるまで保存されたようですから、塩の腐敗防止効果が古くから知られていたと考えられています。

余談ですが、穢れの中で最も忌むべきものは死穢(しえ/死の穢れのこと)で、古代、中世の時代、死は恐怖の対象とされ、周囲に伝染すると考えられていました(おそらく疫病による病死などあったと考えられます)。葬儀の参列者の体に塩をふるのは、この穢れを祓い清める必要があると思われていた名残です。遺族が忌中の間こもったのは清まる時間が必要との考えからで、平安時代967年に施行された法令集「延喜式」には、死体と接する遺族は死穢に染まっていると信じられ30日間の謹慎などが定められていました。
なお神道では、穢れを「気枯れ」とも書き、「人の命が消え、生気が枯れたこと」「大切な人を失い、周囲の人が気落ちした状態」を指します。神棚を封じる必要があるのは、人々が気落ちした状態の悪影響を神様に及ぼさないためだとか。

「六十余州名所図会 石見 高津山汐浜」歌川広重 画
「六十余州名所図会 石見 高津山汐浜」歌川広重 画(1853年)出典:ボストン美術館

石見国(島根県益田市)の高津川の河口から西側にあったとされる津和野藩の塩田を描いた景観図です。当時は、東京湾の行徳なども含め、日本各地の沿岸において塩田が営まれており、当時の塩は貴重なもので、重要な産物でした。

「風俗東之錦 汐汲」鳥居清長 画
「風俗東之錦 汐汲」鳥居清長 画(1783年)出典:メトロポリタン美術館

歌舞伎の「汐汲」を描いた作品。松風と村雨の姉妹は汐を汲む桶を担ぎ、汐汲の舞踊衣裳である華やかな着物に腰簑を巻いた美しい姿で描写されています。なお、汐汲(潮汲・塩汲)とは塩を作るために海水をくむこと、また、その人。

もう一つの由来は、紀元前220年頃の中国で後宮に3千人の宮女(妾)を囲っていた始皇帝、この皇帝が夜な夜な牛車に乗って宮女の住む屋敷を訪ねていくのですが、ある宮女が皇帝の寵愛を賜りたいがため、軒下に牛が好きな塩を盛って皇帝の来駕を待ったと云われています。なお、273年の晋(西晋)の初代皇帝の司馬炎が5千人もの宮女を召し抱えていて、宮女たちは自分のところに羊の車に乗った皇帝を来させようと、自室の前に竹の葉を挿し塩を盛った、という説もあります。
この塩を盛るという故事が、縁起を担いで店先に置くようになったと云われていますが、話の面白さのために後世に広まったのであろうと学者間で考えられています。

このように料理屋の入り口に盛り塩がされているのは、良い客をたくさん招き、嫌な客には退散願う、その上わが店でお出しする料理は、穢れも祓って清浄ですよとの思いが込められているのでしょう。中でも最も穢れが祓われた食べ物は塩焼きということかもしれません。

盛り塩

つまり盛り塩とは、穢れ祓い・神に捧げる神聖な供え物と千客万来を願う縁起担ぎという2つの意味がありそうです。
店に置く盛り塩はわかりませんが、冒頭の、部屋に盛り塩を置くとは悪い気を取り払うという穢れ祓いになり、これは経験上効果ありだと感じました。
新築ではない家に引越しした時も、悪いことが起きないように盛り塩を置く風習があるようですが、これは盛り塩で穢れ払いの結界(神社では鳥居や注連縄にあたります)を張って住まいを聖域とする考え方のようです。

現代においては、自分の身に降りかかる不幸せや不運を呼びこむ何かよくないものとして考えられていますが、これらはストレスなんじゃないかな、と思ったりします。とはいえ、小皿に盛った数グラムの塩化ナトリウムの塊、効果があるのだったら現在まん延している疫病神も遠ざけてほしいと思う今日この頃です。
ちなみに、疫病神(やくびょうがみ)の「疫病」は“えきびょう”ともいい感染症(伝染病)のこと、疫病神は感染症を担当する神様…、といったって、感染症を治すのではなく感染症をふりまく方の神であり、一般的には人や共同体に災難や悪運をもたらす人物のたとえとして用いられます。
そして、日本には、疫病神や風邪の神のように伝染性の病気をもたらす神はいますが、それを治す専門医的な神様はいない…、おそらく“伝染病治します”という看板をかかげても、ちっとも伝染病の猛威が収まらないので信用を失い、“仏像のヒザをなでればヒザの痛みが消える”程度の当たり障りのない(治らなくたって死にゃーしないし)病気治癒を売りにするようになったのかと思われます。。ちょっと盛り塩には関係ないか(汗。

出典:盛り塩
出典:
出典:
出典:垢離
出典:日本語を味わう辞典

テキストのコピーはできません。