「カレー」が地球食になる日は近い⁈
今や日本人の“国民食”と言われているカレー。
「カレー」という呼称は欧米人が名付けたもので、インドではコルマなど各々に固有名称があり「カレー」という料理はないそうです。
語源としては、インドのタミール語のソースの意のカリ(Kari)という言葉があり、それがインドの旧宗主国の英国人によって英語で「curry」と表記されるようになったといわれています。
カレーの日本史
日本で初めて「カレー」という言葉が登場したのは1860年(安政7年)に福沢諭吉がまとめた「増訂 華英通語」、明治時代(1880年代)の欧風化で日本人に最初に紹介された西洋香辛料はイギリスの「C&Bカレー粉」でした。これは、イギリスの初代インド総督ウォレン・ヘースティングズが、インドの「カリ」を1772年に本国に持ち帰ったものを、クロス・エンド・ブラックウェル社(Cross&Black well社)がイギリス人に合うように混合し直したもので、のちにビクトリア女王に献上されたといわれています。
1872年(明治5年)に日本で初めてライスカレーの調理法が紹介された「西洋料理指南」には、材料がネギ(長ネギ)・ショウガ・ニンニク・バター・エビ・タイ・カキ・鶏・アカガエル(カエル肉を使ったレシピは普及しなかった)・小麦粉・カレー粉で、同年に出版された「西洋料理通」では、牛肉・鶏肉・ネギ(長ネギ)・リンゴ・小麦粉・ユズ・カレー粉でした。
現在カレーに欠かせないものとして、じゃがいも・にんじん・玉ねぎがありますが、明治初頭にはまだ珍しい西洋野菜、のちに開拓地の北海道を中心に国内生産が広がり、にんじん・玉ねぎについては明治20年以降になり、カレーライスの原型は大正時代に入って完成しました。
なお、「ライスカレー」という言葉は1876年(明治9年)に札幌農学校に着任したクラーク博士が考案したといわれています。
明治初頭は、ライスカレーは限られた西洋料理店でしか味わえない“高級ハイカラ料理”でしたが、1905年(明治38年)大阪の薬膳問屋の今村弥兵衛が国産初の即席カレー粉「蜂カレー」を発売します。しかしこのカレー粉は近隣の飲食店では使用されましたが、一般家庭にまで浸透するには至りませんでした。
明治末期より、ライスカレー、カレーうどんやカレーそばが食堂のメニューに出るようになって次第に大衆化されましたが、国内にカレーを広く浸透させた契機は、海軍の軍隊食メニューにカレーライスが採用されたことでした。
これは当時(日露戦争時、1904年~1905年)、海軍軍人の病死の最大原因は白米に偏った食事による脚気(かっけ/ビタミンB1不足)によるもので、栄養バランスがよい英国式カレーを取り入れます。その時、日本人には馴染みがないカレー味シチューに小麦粉でとろみをつけ、パンの代わりに米飯にかけたライスカレーが誕生しました。
徴兵制があったこの時代、除隊した軍人たちは家庭に親しんだカレー料理のノウハウを持ち帰り、これが日本全国にカレーが広まった要素の一つといわれています。
また、戦後の学校給食に採用されたカレーも、同様な理由でカレー普及の大きな役割となりました。
それまでのカレー粉は輸入に依存してきましたが、1923年(大正12年)日賀志屋(現・エスビー食品)はC&Bに匹敵する本格的な日本初国産カレー粉の製造に成功、そして戦後1950年(昭和25年)に赤缶カレー粉を発売しました。
大正後期には東京のそば屋で「カレー南蛮」や「カレー丼」など和洋折衷料理が生まれ、安価な洋食として定着しています。
1926年(大正15年)浦上商店(現・ハウス食品)はカレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分等を固形化したインスタント缶入り粉末カレー「ホームカレー」を発売します。1930年(昭和5年)頃までには、ノーブル商会「スイートカレー」、今村弥商店「蜂カレー」、弘樹屋商店「メタル印カレーの友」、キンケイ食品「ギンザカレー」、日賀志屋(現・エスビー食品)「ヒドリ印カレー粉」などのカレー粉の発売元が急激に増加します。
しかし戦中(1941年~45年)は食糧統制のためカレー粉の製造販売を中止、軍食用のみになりました。
1945年(昭和20年)、オリエンタルが、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーであるオリエンタル即席カレーを完成させ、当時一般家庭の食卓にスプーンがなかったのでカレーの景品としてスプーンを付け広めます。
1950年(昭和25年)、前年に製造を再開したハウス食品が日本初の固形カレールゥ「ハウスカレー」を誕生させます。この頃にはヱスビーや蜂カレーなど他のカレーメーカーの製品も出揃い、学校給食にもカレーが採用されていきました。
そして1968年(昭和43年)大塚食品が世界初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売します。
ちなみに、もはや国民食となったカレーは他製品にも波及し、同年、明治製菓の日本初のスナック「カール」にカレー味を採用し、1971年(昭和46年)に日清食品が生んだ世界初のカップ麺「カップヌードル」にも1973年にカレー味が追加されました。
1982年(昭和57年)、学校給食の全国統一献立の初メニューにカレーライスが選ばれ1月22日を「カレー給食の日」に制定、以後この日が「カレーの日」とされました。
1992年(平成4年)にはNASAの宇宙飛行士・毛利衛は史上初めて宇宙食にレトルトカレーを持参、その後メニューとなりました。
最初は「ライスカレー」
ライスカレーはライスにあらかじめカレーがかかっているもの、カレーライスはカレーが容器などに入れられてライスとは別々に出てくるもの、とカレーとライスの出され方で呼び方の違いがあるそうです。
ちなみに、ライスカレーには気取らない大衆的なイメージが強く、カレーライスにはややハイカラで高級なイメージが強いという。
明治初期にクラーク博士が考案したといわれている「ライスカレー」という呼称は、終戦直後くらいまで使われ続けます。ところが、1950年代半ばから始まった高度経済成長で状況は大きく変わっていきました。この時期、カレーの消費量が急激に拡大、一方、簡便性のある即席カレーやおいしさを求めた高級カレーなどの多様化が一気に進みました。カレーという料理自体が大きく変貌を遂げ、呼称そのものもライスカレーからカレーライスに一気に切り替わったそうです。
ただ、カレーライスという呼称は百貨店の食堂や有名レストランなどが発祥との説がありますが、詳細は不明とのことです。
なので、現在では「カレーライス」と呼ぶのが主流になっています。
食べる漢方薬、カレー
カレーの発祥地はインドですが、味付けや技術や感性までも付け加えながら、インドとはかなり異なる独自に発展してきた日本風カレー。
統計によると、日本人がカレーを食べる月間平均回数は約7回。家庭でカレーを作り、食べる月間平均回数は約2.5回にのぼるという。料理の人気ランキングでも、ラーメンや寿司などと並んでカレーは上位の常連です。
日本人がカレー好きなのは色々と理由があるでしょうが、受け入れられたのは漢方など昔から服用してきたから、カレーの香辛料にもそれほど抵抗感がなかったともいえるでしょう。
カレーの香辛料には、黄色は鬱金(ウコン)・洎夫藍(サフラン)など、辛味に胡椒(こしょう)・生姜(ジンジャー)・唐辛子(とうがらし)など、香りにコリアンダー・カルダモンなど20数種配合されていて、そのスパイスの多くは漢方薬と原料が共通しています。なので、“食べる漢方薬”とも言われているようです。
例えば、江戸時代初期より使われていた日本で鬱金(ウコン)と呼ばれるターメリックは肝機能の改善に、生姜や唐辛子は血流促進効果があり、一般にカレーに使われるスパイスには生活習慣病などに期待ができるそうです。他にも、精神的ストレスの軽減、冷え症改善、脳内血流量が増加し脳の細胞活性化、エネルギー消費が高く満腹感も高いことから太りにくい食事、などの効用が実験により認めらています。
安い、うまい、調理も簡便、見た目も美味しそうな黄色の栄養に富んだ医食同源な万能食、カレーが地球食になる日は近いかもしれませんね。
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