ソラマメを大きくしたような形の赤い人形「だるま」
縁起物といえば、招き猫、羽子板、熊手、笹飾り、朝顔、鬼灯、七福神、破魔矢、お守り、おみくじ、絵馬、お札、犬張り子、赤べこ、そして達磨(だるま)など挙げればきりがないほどありますが、江戸時代に多く生み出され、経済が成長した元禄期(1688-1704年)以降になると庶民も縁起物を買うようになりブームなったそうです。
現在でも観光地のお土産売り場に行けば、ご当地物の縁起物が必ずといっていいほど売っていたり、選挙速報ではだるまの目入れの儀式、旅館や飲食店、合格お守りなど、日本人は縁起物が好きなようです。縁起物の中で、以前に人気がある「招き猫」をやったので、今回は身近な「だるま」について調べてみることにしました。
ちなみに、縁起物とは、身につけていたり家に飾っておいたりすると、幸福が訪れたり災難を避けられるといわれ、それを信じる人もいる商品。ふつう、この種のものは値段が高いほど御利益も多いと考えられがちですが、日本の神社などでは、手頃な価格の縁起物がバラエティ豊かに販売され、よく売れており、宗教関係者と参詣者のお互いあまり当てにしていない関係性がよくわかりる商品かも(笑。
雪が積もった蔵前の町に作られた巨大なだるま、江戸時代の雪だるまといえば、達磨大師の形をしたものがよく作られたようです。縁起物だからでしょうか。
禅宗の開祖・達磨大師がぼろぼろになった壁に向かって坐禅をくみ、9年もの間沈黙して微動だにしないという「面壁九年」と呼ばれる修行が描かれています。
だるまのモデルとなった達磨大師は禅宗の開祖で、520年頃、洞穴の壁に向かい座禅修行すること9年で悟りを開いたと伝えられる聖人です。
伝説によるとこの修行で手足が腐ってしまい、いわゆる「面壁九年」の故事にちなみ、その姿を尊んでデフォルメされ、室町時代に、赤い衣姿で手足がなく底を重くして倒れてもすぐ起き上がるように仕組んだ起上り玩具「起き上がり小法師(こぼし)」として流行りました。
なお、達磨は南インド香至国の王子で、インド名はボーディダルマ(Boddhi-dharma)、この音訳で菩提(ぼだい)達磨と呼ぶのが正しいとか。
この転がしても必ず起き上がる姿から不老不死の意味「不倒翁(ふとうおう)」と不撓不屈の思いも込められ、江戸時代中期から達磨が起上り玩具を代表するようになり「七転八起」のたとえ言葉とともに縁起物として全国に広がったようです。
だるまの置き物がよく見られるようになったのは江戸後期。最初片目だけを入れておき、願いごとがかなった際もう一つの目を入れて両目にするというのが一般的ですが、この風習は文化期(1804-18年)に始まったとされます。
それまでは、片目のだるまが主で、というのも日本は古来より不完全なものに呪力があると考えられていました。例えば、体の部位が欠損している遮光器土偶は呪具として用いられ、東照宮の陽明門の逆さ柱も同じ呪法によるもので、つまり片目の状態であることが重要な意味を持っていて祈願成就のための呪具だったようです。
招き猫も片手ですが、片手であることが呪具として意味を持っているそうです。右手を挙げている招き猫のご利益は金招き、左手招きは人招きと言われていますが、日本では古来より左が上位で右が下位という左尊右卑思想が根底にあると考えられています。舞台の上手は演者の左側だし、内裏雛では左大臣のほうが偉いという、つまり左手で招く人心のほうがずっと大切で重要だという意味のようです。
でも、右手招き猫は商店などに商売繁盛の縁起物として置かれることが多く、しかるに猫の手まで借りなければ経営が苦しい小商いの実情を表すシンボル、かも(汗。
江戸土産として参勤交代で江戸に来た諸藩の藩士が浅草寺で買って帰った土人形は今戸焼の人形でした。今戸焼で有名なものが招き猫の起源と云われる丸〆(まるしめ)猫、現在でも縁起物として続いています。露店にも、招き猫本体の後ろに丸の中に〆というマークがありますが“お金や福をせ〆る”という縁起担ぎが込められているのだとか。
疱瘡(ほうそう)の子に赤いおもちゃを持たせておくと病気が軽くすむという俗信から起こった疱瘡絵の、魔除けの色とされて来た赤色で摺った「赤絵」などと呼ばれるが出回りました。絵には、達磨・鍾馗(しょうき)・金太郎・桃太郎・源為朝・ミミズク・張子の犬・でんでん太鼓・風車など、おもちゃや縁起物がよく描かれたそうです。
疱瘡とは「天然痘」という死亡率が高い伝染病のことで、当時の日本人を最も苦しめた疫病であり、死に至らなくても醜いあばたが残ったり失明したりすることもあったようです。この厄を除けるためのおまじないとして疱瘡絵が当時流行りました。
伝染病の疫病神としての黄色い着物を着た老人と赤の着物を着た子どもが疱瘡神で、“もう悪さはしない”という証に二人の手形がおされた紙が源為朝(源頼朝・義経兄弟の叔父にあたる平安武士、流刑地の伊豆諸島を征服してしまい疫病神たちも逃げ出した剛力無双な武士)に渡されています。2人の疱瘡神の周りにいる変な生物たちは疱瘡から無事に回復するためのおまじないで、倒れてもすぐ起きるダルマ・ミミズク・張子の犬・ウサギ・熊になります。
この江戸の頃、源為朝は「疫病除けの神」として信仰されるようになり、多くの絵師たちがその姿を描き、人々はそれを家に貼ったり、戸口に「鎮西八郎為朝御宿」と書いて張ることが行なわれ祈ったりしたそうです。
江戸時代に縁起物がブームとなったのは、疫病の蔓延で、大火で、洪水で、犯罪被害で、事故でと常に死が身近にあることによる不安からと、仏教界の今世の格差は前世の因によるものという脅し文句として流布されたことからとされます。
心理的な抑圧を掛けられた人々が社寺を見ればちょっとお参りして行こうという気になるのも当然だし、縁起が良さそうな招き猫やだるまといった縁起物も心の拠り所として持ちたくなるのも頷けます。
そして現在も「アマビエ」という妖怪が流行っているのも、このような心理と無縁ではないでしょう。
結局、達磨とは何かというと、禅宗の始祖として知られるインドの仏教僧、あるいはソラマメを大きくしたような形の赤い人形。仏教僧は長年の坐禅による修業のため足を失ったという逸話だけのためにこの縁もゆかりもない人形に名前を残しています。しかし、日本ではその雪だるま形の人形がなければ、偉大な仏教僧の行跡が庶民に知られることもなかったような…(笑。
ついでに縁起とは、縁によって起こされた結果という意味で、“前世で悪事をはたらいたからこの世では馬に生まれ変わってこきつかわれているのだ”などと、こじつけとしか考えられないような原因によって強引に結び付けられた結果や、その原因と結果を結びつける訳のわからない理屈のことをいう仏教思想。縁起がよい、縁起を担ぐ、などの「縁起」は日常的な迷信、俗信、ジンクスなどの類で、人々は「縁起が悪い」と言って勝手に一喜一憂しているといえそうです。
とはいえ、だるまも招き猫も持っていて、去年は行けなかった一昨年の浅草・鷲神社の縁起物「熊手」に祈っている自分がいるのですがね。
出典:達磨
出典:だるま
出典:招き猫やだるまなどの縁起物のご利益とは
出典:起上り小法師
出典:日本語を味わう辞典
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