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昭和の頃の祝い事には「尾頭付き鯛」がポピュラーでした

昭和の頃の祝い事には「尾頭付き鯛」がポピュラーでした

鯛というと、一般的に高級魚として、また縁起の良い魚として知られていて、昭和な頃は結婚式などお祝い事の引き出物に、折箱に入った尾頭付き鯛や練り切りや鯛の形をした祝い砂糖がポピュラーだったような気がします。
ですが思い出として、田舎の結婚式の食事に供された尾頭付き鯛の持ち帰りを家でくわされた小さい頃の自分は、時間が経って冷たくなり、魚臭くなった鯛にあまりよいイメージはもっていなかったのよね(個人の感想です。後に鯛めしにしたら美味しかったけど)。

折箱に入った尾頭付き鯛
折箱に入った尾頭付き鯛
鯛の形をした祝い砂糖
鯛の形をした祝い砂糖

ということで、“魚は鯛”、“腐っても鯛”などの諺もある「鯛」について調べてみることにしました。

ちなみに「尾頭付き」とは、尾と頭がついた魚を意味しますが、もちろん生きた魚では当然の姿なので、死んで食卓に上った魚の状態をいったもの。日本で尾頭付きの魚は“切り分けられていない”、“初めから最後までを意味する(一生を添い遂げるという意味)”ということで縁起がよいとみなされ、結婚式などハレの日の料理として用いられます。
尾頭付きといえば、イタリアにはアクアパッツァという魚を丸ごと水と白ワインで煮込んだ料理がますが、イタリア人は縁起がいいからそういう料理を作るのではなく、ただ魚をさばくのが面倒くさいという理由だけのような…(笑。

「隅田川中洲の四季庵の酒宴」窪俊満 画
「隅田川中洲の四季庵の酒宴」窪俊満 画(1788年)出典:メトロポリタン美術館

この隅田川の中州は、茶屋、遊郭、見世物小屋などがひしめき大変な賑わいだったところ、おそらく四季庵という茶屋で夕涼みをしながらの宴会の様子です。中央の足付きの台には、見事な鯛の姿焼(刺身?)と、中身はわかりませんが漆器の大鉢などが見られます。これは、“台の物”と呼ばれ、仕出し屋から注文したもののようです。台の物は大きな台(円形か方形)に、刺身・煮物・硯蓋(口取り)・焼物などの料理をのせたもので、客を喜ばせるように派手で凝ったものが多かったようです。価格は一分台または大台が1分(約23,000円)で、二朱台が2朱(約12,000円)と高価だったそうです。

鯛はマダイ・チダイ・キダイやクロダイ・ヘダイなどタイ科の総称ですが、ふつうマダイをさします。
古くは縄文時代から鯛の骨が出土しており、食用にされていたようです。
そして、鯛は最初に文献に表れる魚で『古事記』神代巻に、山幸彦(やまさちひこ)の投げた釣り針をのどにひっかけて登場し、『万葉集』にも鯛釣りの歌が見られるそうです。
伊勢神宮の神饌(しんせん/神様の食事として供える飲食物)では、アワビに次ぐ大切な魚とされ、御幣鯛(おんべだい)という塩乾の鯛が、奈良時代から伊勢湾の篠島(しのじま)で調製され、古式のままに供えられています。つまり神道では鯛が重要な地位を占めており、古くから祭礼に欠かせない魚だったようです。

さらに江戸時代になると、魚は専ら海のものが食され、将軍家でも鯛が喜ばれたため「大位」と当て字をされもてはやされました。江戸時代の身分制度と同じく魚にも上中下の格付けがなされ、鯛は魚類の中でも第一位とされました。
なお、現在高級魚とされる値段の高い魚はほぼ上魚になっていますが、フグやマグロは意外にも下魚とされています。フグは中毒することがあるので、マグロは脂が多い魚を当時の人々が嫌ったからという理由のようです。イワシやニシンは当時も下魚とされていました。
また、それまでの最高の魚は鯉だったようです。都の京都は海から遠く、入手できる鮮魚は淡水魚であり、鯉が宮中で「高位」などと呼ばれて食されていました。

「えびす祭 恵比須講」鳥高斎栄昌 画
「えびす祭 恵比須講」鳥高斎栄昌 画(1796-97年)出典:ボストン美術館

えびす神社の総本社・西宮神社(兵庫県西宮市)には漁業の守護神とされる事代主命(ことしろぬしのかみ=えびす様)が祭られており、西宮神社ではかつて、付近の漁師が大鯛を奉納して大漁祈願の神事を盛大に行なったといいます。江戸時代には旧暦10月20日に、商売繁盛を祈って恵比須様を祭る恵比須講が行われましたが、その祝膳には鯛が欠かせないものでした。

平安時代末期に現れた七福神の恵比須様が釣り上げて持つ鯛は、「めでたい」に通じる語呂合わせから、江戸時代頃から祝いの料理や贈答品にされていますが、「めでたい」は「めでたし」の口語体(話し言葉風の形式)で、それほど古い言葉ではなく、それよりも縁起のよい赤い色彩やもっとも魚らしい美しい姿、味が落ちにくく長寿(30年以上も生きるものがある)であることや、味の良さから吉祥魚とされました。
おそらく、日本では火や血の色を連想させる赤は、古来より魔除けや邪気を払う効果があると信じられていたことから、鯛も縁起物としてもてはやされたと考えられます。
そして、江戸後期の俳文集『鶉衣(うずらごろも)』には「人は武士、柱は檜(ひ)の木、魚は鯛」とあり、めでたい魚として祝膳には欠かせないものになっていたようです。

「商人七福神 恵比須」豊川国周 画
「商人七福神 恵比須」豊川国周 画(1866年)出典:江戸東京博物館

七福神の一柱である日本古来の恵比須様は、商売繁盛や豊漁・豊作をもたらす福徳の神などとされ、右手に釣りざおを持ち、左わきに鯛をかかえた姿をしています。これは恵比須に見立てた手鈎(てかぎ)で鯛を吊るしている歌舞伎役者の四世・中村芝翫のだとか。当時の魚河岸は日本橋にあり、背景の擬宝珠(ぎぼうしゅ)は日本橋を示しています。

「見立若三人(一部)相生松五郎」歌川国輝二代 画
「見立若三人(一部)相生松五郎」歌川国輝二代 画(1870年)出典:artelino-Japanese

日本の相撲は、農業生産の吉凶を占う神事として古代からあったといいます。相生松五郎が優勝力士でしょうか、前に料理をのせた膳が置かれ中央の皿には鯛の焼物があります。でも鯛の頭は力士の右手にあって常識とは反対です。江戸時代にも魚の頭は左に置くしきたりはあったようですが、絵師はしきたりよりも描きやすさを優先したといいます。

尾頭付き鯛

鯛とは、スズキ目タイ科の魚。日本人はこの魚を高級魚・縁起物としてありがたく食します。
古くは「アカメ(赤い魚という意味)」とも言っていたようですが、赤い魚は他にいくらでもいるせいか、その平板な形状から「平ら(たいら)」と同源の「たい」に落ち着いたようです。しかし、平たい魚なら他にいくらでもいて、ヒラメはともかく、それらのもっと平たい魚がカレイとかエイといった名前で我慢しているのに、それほど平たくもないタイが“オレはタイだ!”と威張っているのは、どうも納得がいかないような。「めでたい」の「たい」だから縁起がよくていいじゃないかと言われても、それならめでたい色の「アカメ」でよかったじゃないかと思ったりして、とどうでもよい話でした(失礼)。
その赤い体色は、好物の海老をもっぱら捕食しているからだという冗談のようなホントの話があり、だから鯛の歯は海老の殻を食い破るために頑丈にできているのだと説明されればなるほどと思ってしまいます。なので、“海老で鯛を釣る”という諺が、ただの作り話ではなく実際の体験から生まれたらしいことがわかります。
食物としての鯛は白身魚の代表格で、ヒラメと並んで刺身で食べると味が薄い(などと言い切ると“味オンチなヤツめ”とバカにされますが)かな、なんて思うのですが、鯛飯の鯛あたりがちょうどよい味加減のような気がします(個人の感想です)。刺身でしたら、やはり平べったいカワハギの、肝を和えた醤油でいただくのが一番美味しいかな…(またしても個人の感想です)、鯛の話なのに、又それた終わり方になってしまいました(汗。

出典:タイ(魚)
出典:えびす(夷∥恵比須)
出典:
出典:縁起の象徴である鯛を引き出物で選ぶときのポイント
出典:日本語を味わう辞典

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