昭和レトロな牛乳販売店の看板
先日のお酉様の帰りに台東区入谷の裏路地にて、明治乳業が1928年(昭和7年)から販売した明治牛乳の看板に出会いました。
明治乳業の創業時に、旭日旗の中心に「乳」を組み込んでデザイン化した社章、1986年(昭和61年)まで使われていたそうです。
たぶん、すでに廃業した販売店で、看板だけが残されたのでしょう。
宅配牛乳のはじまり
牛乳を口にした初めての日本人は、飛鳥時代の孝徳天皇(596~654年)だったと言われています。
しかし、牛乳などの乳製品は薬用として特定の貴族階級の口にしか入らず、庶民とは関係のないものでした。
牛乳が一般的な飲み物になっていくのは、明治維新の頃からだそうです。
文明開化と共に開港した港には多くの外国人が住むようになり、オランダのスネル兄弟という商人が横浜居留地に搾乳所を開設、外国人を相手に牛乳の販売を始めました。
当時は、日本に牛乳を飲む習慣がないのに困っていたそうです。
やがて、東京の早稲田に西洋式医院を開設した松本良順医師(蘭学医で初代陸軍軍医総監)の勧めや政府の失業対策で、職を失っていた旗本や武士たちに牛乳搾取業を開くよう薦めます。
こうして、明治初頭から東京には続々と牛乳搾取所が開店していきます。
この頃からすでに、店頭での量り売りのほか、戸別配達を行っていたと思われます。
大きなブリキ缶に牛乳を入れ、訪問した先の出してもらった容器に、ジョウゴと杓子(しゃくし)で量り売りしていたと言います。
この当時はまだまだ高価で、主に薬用として飲まれていました。
明治20(1887)年頃からは、ビン詰め(色の付いたガラスビンで栓は紙や綿)での宅配に変化してきました。まだ、しぼったままの生乳でした。
明治30(1897)年代に王冠や陶器製の栓が登場すると、ビンごと熱湯につけて殺菌するようになりますが、賞味期限はまだ短く配達は1日に2度というケースがあったようです。
昭和2(1927)年、初めて牛乳の殺菌処理が義務づけられ、同時に牛乳ビンが統一されました。おなじみの広口の無色透明ビンの登場です。戦前・戦時中は物資不足のため色の付いたビンが復活しますが、戦後になってまた透明の牛乳ビンになります。
戦前は人力車や自転車による配達でしたが、戦後はトラックが登場、昭和30(1955)年代以降は牛乳の消費量も増えトラックの大量輸送となっていきます。当初はトラックの荷台に牛乳箱を積み、氷塊といっしょに輸送していたそうです。
現在の宅配は保冷車が使用され、より牛乳の鮮度が保たれるようになりました。
また、暮らしの変化に合わせ毎朝の宅配だけでなく、夕方や週に1日だけでも配達してくれたり、インターネットで注文ができる牛乳販売店も多くなっています。
出典:(一社)全国牛乳流通改善協会
宅配牛乳の今
大手食品会社である「明治」は、宅配牛乳で業界シェア1位です。
ピークが1976年で1980年代にはスーパーとコンビニが増加した原因で約1/3まで落ち込みました。
この頃に、牛乳販売店さんの廃業が多くなった模様です。
しかし、1990年代に宅配専用商品を作って営業力を強化して1980年代の約2倍強とV字回復したそうです。
なお、牛乳の消費量は1996年をピークに減少傾向で推移しています。出典:農畜産業振興機構
では、何が人気なのか
市販品より乳原料を変えることでこだわりのコクを出しているプロビオヨーグルト系商品が一番人気で、次はカルシウムと鉄分が1日分入っている低脂肪タイプの乳飲料ミルクだそう。市販品との差別化は、習慣化しやすい風味にこだわっているためだとか。
宅配は健康価値を訴求する商品のほうが売れるらしく、やはり、健康志向の高まりと普通の牛乳との差別化を図らないと売れないのですね。
ちなみに、コーヒーやフルーツなどの嗜好品は温浴施設で人気だそうです。風呂上がりの瓶入りコーヒー牛乳は、なぜか美味しいですものね。
出典:「牛乳配達」ってまだやってるの?
宅配は地方の方が盛んで、年齢層はシニアの女性が多いのだとか。一部の店は見守りサービスも兼ねていたりとか会えないお客さんにはメモを書いたりして、きめ細やかなサービスをウリに、今も牛乳販売店さんは頑張っています。
人と人とのふれあいを大事にする宅配牛乳、ネットショッピングでは出来ない事ですね。
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