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昼間っから飲んでも怒られない街のカクテル「電気ブラン」

昼間っから飲んでも怒られない街のカクテル「電気ブラン」

酒にまつわる話
日比谷線 多少混んでいる電車内で 友人と立って話していた時の事。ドア脇に神谷バーのポスターが目に留まった。
私「また神谷バーへ飲みに行きたいね、電気ドリルを!」
友「え~、電気ブラシじゃなかったっけ?」
私「電気ドリルだよ!」友「電気ブラシだって!」と多少声高に繰り返していたら、近くにいたおじさんがボソッと「電気ブランです。。」
赤面、、降りたくもない次の駅で下車した2人でした。

ということで、下町らしい浅草の老舗・神谷バーと電気ブランのお話です。

1912年の神谷バー
1912年(明治45年)店を洋風に改装し、店名を「神谷バー」に改称した頃の写真。出典:記念ハガキ

この電気ブラン提供している「神谷バー」は歴史が古く、1880年(明治13年)浅草花川戸(現・浅草1丁目)にて初代・神谷傅兵衛が、酒(濁り酒)の一杯売りをする「みかはや銘酒店」として創業したのが始まりとされます。
1882年には、速成ブランデー(現・電気ブラン)を製造し販売を始めました。この時、当時大流行していたコレラに効くと盛んに喧伝されたようです。

その後、これに改良工夫を加え、文明開化(1878年に東京に初めて電灯が点灯された)の象徴だった電気にあやかって「電気」という語を冠する新商品「電氣ブランデー」を売り出しました。ですが、ブランデーではないことからブランデーの「ブラン」を合わせて「電氣ブラン」と改められたそうです。

この電気ブランはハイカラな飲み物として、神谷バーの名物となり人気を博しましたが、非常に甘いにもかかわらず度数は45度と強い酒だったため、店ではカップ3杯以上は売らなかったとされます。
なお、当時は薬用として用いられた輸入ブランデーに、ジン、ベルモット、ワインキュラソーと薬草などを混ぜたカクテルの一種として提供されましたが、その材料の詳細と比率は今も公開されていないとか。

1957年(昭和32年)には「デンキブラン」と改名しアルコール度数も45%から30%へと変更、1983年(昭和58年)になると発売当時のラベルデザインを踏襲し、アルコール度数も40%とした復刻版の「電氣ブラン(オールド)」を発売しています。
なので、現在はアルコール30度の「デンキブラン」と40度の「電氣ブラン(オールド)」2種類が提供されています。

1920年代の神谷ビル
1920年代の写真。出典:記念ハガキ

1921年(大正10年)に鉄筋コンクリート造4階建「神谷ビル」竣工、近代建築による三連アーチが特徴的です。

浅草・神谷ビル
浅草・神谷ビル。出典:Flickr

浅草で最古の建造物で、現在も営業を続けていて、2011年(平成23年)には国登録有形文化財となっています。

ちなみに、日本人を対象としたカウンター形式の洋風酒場・バーの元祖は、明治初年(1870年代)に登場した東京銀座京橋区尾張町(現・銀座6丁目)の函館屋(アイスクリームを一般市民に売り出した最初の店でも有名。『中央区史下』より)とされます。函館屋は高級バーだったらしく、一方、神谷バーは洋酒の一杯売りを始めた居酒屋風大衆バー、ただバーを称したのは神谷バーが古いようです。

昭和の頃の神谷バー店内
昭和レトロな雰囲気の神谷バー店内の様子。出典:Flickr

1階の神谷バーフロアは、下町の雰囲気があるノスタルジックな店内となっていて、お酒のメニューやおつまみがメインの大衆酒場っぽいバー。常連客らしき人が多く、相席は当たり前で、一人でも気軽に入ることができるような感じです。
2階のレストランカミヤでは洋食などの食事メニューが充実しているレストラン、3階の割烹神谷は訪れたことはないのですが、和風の食事メニューをメインとしているレストランのようです。

飲み方は、ストレートの電気ブラン(オールド)とビールあるいは黒ビールをチェイサー替わりにして交互に飲むというのが“通の飲み方”らしく、試してみましたが、すぐに酔ってしまい危険かも。ただし早く酔っぱらいたい方にはおすすめです(笑。

電気ブラン

浅草といえば場外馬券売り場があるせいか、昼間っから飲んでいる左党が多いのではないかと思われる街で、また昼から飲んでも怒られない街ランキングでも3位になっています(LIFULL HOME’S、調べ)。
太宰治、井伏鱒二、三浦哲郎といった作家の作品にも登場する1世紀以上経た神谷バーで、文豪たちにも愛された電気ブランを歴史を感じながら昼間っから飲むのもよいかもしれませんね。

余談で左党とは、酒好き・酒飲みを言い表しますが、江戸時代に、大工や鉱夫が左手でノミを持ち右手で金槌を持ち作業をしたことから、左手を「ノミ手」、右手を「ツチ(槌)手」と言い、ここから「ノミ手」→「飲み手」→「左利き」「左党」というシャレで生まれた言葉だそうです。
ですが、いま「左党」と言えば、ちょっとショボそうな左翼政党くらいしか思い浮かばないかもしれず…(汗、ショボいかどうかはともかく“左翼の党派”という意味もあります。
酒飲みが「左」であるなら甘党は「右」だろうという連想で「右党(うとう)」という俗語もあります。しかし「左党」は口語にすれば“さとう”で、むしろ甘党を連想させるし、酒やグルメの世界に左翼も右翼もないだろうという政治観(?)からか、このややこしい成り立ちの俗語は、ほぼ死語と化しているようです。

出典:神谷バーのホームページ
出典:電気ブラン
出典:神谷バー
出典:電気ブラン/Wikipedia
出典:日本語を味わう辞典

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