単なるモノではない「人形」
人形というと、以前 癌で亡くなった叔母から譲り受けたスカーレットちゃん人形を実家の物置にしまい込んでいたのですが、ある時に“ここから出してほしい”という夢を見て、当時住んでいたマンションに持ち帰り、早速サイドボードに飾ってみました。しばらくして、何故か視線を感じるようになり、旦那も妙な感じがしていたらしく、“この人形には何か憑いているのでは…”なんて言い出し、結局押入れへ(後に供養をしましたが)。
という事があったのですが、そういえば、怖い体験をしたものの中で、お土産で買ったお面 (何やってもすぐ落下する) やら掛け軸に描かれた人物(ある時から夜中にお経みたいな声が聞こえ出した)があったので、いわゆる人形(ひとがた)は憑きやすいのでしょうか。それ以来(ドラクエのスライム・ペコちゃん・ブースカ以外)飾ることはなくなりました。
ということで、初っ端から怖い話になってしまいましたが、「人形」について調べてみました。
以前の記事で「スカーレットちゃん」や「雛人形」でも少し載せましたが、現存する最古の人形は紀元前2000年頃のエジプト王朝の墳墓から発見された土人形や木製の副葬品とされ、人形の歴史は人間の歴史とともにあるようです。なお、この人形は死者の伴として、一緒に埋葬されたものだと考えられています。
この古代に登場する人形は、神や精霊の「依り代(よりしろ=神霊が依り憑く対象物)」として、また人間の「形代(かたしろ=人の形を型どったもの)」として、祭礼などの宗教行事や呪術信仰的に用いられた痕跡は世界各地に残されているそうです。
日本では旧石器時代から各地で作られていたとされ、縄文時代には各地遺跡から約1万5000体に及ぶ土偶が発掘されています。土偶は女性像が多く、子孫繁栄や豊穣を祈る地母神崇拝の意味をこめて作成されたと解釈されています。
信仰の対象として神々の領域にあった人形が、愛玩物として登場するのはギリシャ・ローマ時代(前8~後4世紀末)、8~9世紀に入るとヨーロッパでは子ども用の抱き人形が作られ始めました。それまでは祖先に見立てた人形を家の神として祀っていたとされます。
日本でも同じ頃の平安時代に、貴族子女が紙や布で簡単に作った人形や身の回りの道具類を模した玩具を使って遊ぶ“雛遊び(ひいな遊び・ひひな遊び)”と呼ばれる今の人形遊び・ままごと遊びが始まっています。
ちなみに、「雛祭り」は平安時代に始まり、「雛ひとがた(紙や草の簡素な形代)」に身体を撫でて災いや穢れを移して水に流す「流し雛」の風習が起源とされ、17世紀前半には一般化されています。また、現在の「にんぎょう」という読み方は鎌倉時代以降で、一般に用いられるようになったのは江戸時代以降のようです。
江戸時代以後信仰や年中行事と結びついて雛人形や武者人形、そして郷土玩具などが発達しました。観賞用として「京人形」や「博多人形」、子どもの遊戯用として着せ替え人形の「市松人形(やまと人形)」や和紙と千代紙で造られた「姉様人形」などが誕生し、裕福な武家や商家の子女に大切にされました。
この時代は人形製作技法もめざましく向上し、精巧で優美な日本人形独特の作品が続出しました。
なお、市松人形の名は歌舞伎役者・佐野川市松(1722-62年)の舞台姿に由来するそうです(美男だったらしく、衣裳の石畳の模様の市松模様の名で流行しています)。また、1855年(安政2年)のパリ万博に出展された日本の市松人形に影響を受け、欧州でも現在親しまれている子ども型の「べべドール」が誕生しました。
余談で、日本の「からくり人形」は『日本書紀』の斉明天皇4年(658年)に見られる指南車が初見とされ、人を模した人形は『今昔物語』に出てくる高陽親王(桓武天皇[781-806年]の第七皇子)の機械人形が最古の記録とか。
昭和初期の日本で作られた観賞用フランス人形・さくら人形は、プレスされた布製マスクに顔を描き入れ、手足は芯材の針金に脱脂綿を巻いた布製で胴なども布製、毛髪には菅糸を用いているなど、布特有の柔らかさを出しているのが特色でした。
ヨーロッパ中世にはクリスマスの時期、各家庭でキリスト降誕の場面を再現した人形を飾る習慣が広まり、14世紀初期にはフランス・パリの衣装店が王家貴族の女性のために見本として最新のファッションをまとわせた人形を作り送ったようですが、これがファッション・ドールの先祖で、フランス人形の始まりと言われています。
16世紀には華麗な衣裳をつけた写実的で精巧な観賞用フランス人形が作られ始め、貴族の間でドールハウス(人形の家)が流行、18~19世紀には人形の頭や手足に陶磁器のパーツを用いたビスク(2度焼の意)・ドールが登場しヨーロッパの代表的人形とされました。
このフランス人形は日本へは明治時代に輸入され「舶来人形」と呼ばれました。それらをまねた国産人形が作られるようになり、大正末期にはヨーロッパ風日本製人形の総称をフランス人形と言うようになったようです。昭和初期にはフランス人形の製作技法を使って日本化した人形「さくら人形(新日本人形)」も生まれました。
初代リカちゃんはタカラ(現・タカラトミー)から1967年(昭和42年)に発売、2022年に55周年を迎えました。
20世紀になると、アメリカでセルロイドその他を用いた安価な人形が大量生産されたりして、欧米風の人形が主流となり、大正期から昭和期にかけてのセルロイド人形、縫いぐるみ系の文化人形(洋装の布製の人形のこと、さくら人形も含む)が流行しました。
なお、ビスク・ドール系の人形は、戦後の合成樹脂の発展によって新たな趣向の人形が普及するようになり、衰退しました。
戦後になると、1954年(昭和29年)の「ミルク飲み人形」、1957年には髪結い遊びの「カール人形」が登場。また1960年代に入ると、1960年(昭和35年)ビニール製の「ダッコちゃん」人形、後半になると純国産のソフトビニール製の着せ替えファッションドールが次々と作られるようになるとキャラクタードールなども登場し、現在は子どもに限らず大人にも幅広く親しまれています。
加えて最近では、本物の赤ちゃんのようなシリコン製人形の「リボーンドール」など、科学が発展し精巧な動く人形や喋る人形が作られ始めていて、それはすでに人形の定義を超えつつ有るような感じがします。
ということで人形とは、人の姿をかたどって作られた置物・玩具・呪いなどの目的をもつ道具、主に人間と同じ素材の着衣を着ているモノのことを言います。今でこそトイザらスやヨドバシカメラに並んで子どもたちに愛嬌をふりまいていますが、その昔は「ひとがた」と呼ばれ、家中の穢れや病気の悪霊を吸い込んで、川や海に追放されるというオカルトキャラだったことが知られています。。その気持ち悪さは霊感の鈍い現代人でも感じるところがあるようで、人形をネタに使ったオカルト映画がしばしば作られています。
現在日本で「人形」と呼ばれているのは、昔ながらの木製、布製、陶製のボディに実際の衣服をまとったり、衣服をまとった姿で表され、気持ち悪さを多分に残したものを言い、マンガやアニメのキャラクターをかたどり、気持ち悪さがすっかり抜けきって、オタクと呼ばれる人々と仲がよい「フィギュア」と区別されることが多いかも。
しかしながら、日本人にとって人形は、きっと誰しも雛人形や五月人形など持っていて、人形供養なども行われていて、単なるモノではないのかもしれませんね。
出典:人形
出典:フランス人形
出典:さくら人形
出典:日本玩具文化財団/人形の歴史
出典:日本の人形の歴史と文化
出典:あなたは「人形」の真実をどれだけ知ってますか
出典:日本玩具博物館
出典:日本語を味わう辞典
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