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出店(でみせ)とは何の関係もない「縁日」

出店(でみせ)とは何の関係もない「縁日」

縁日=出店(でみせ)というイメージが強かった小さい頃、お面や水ヨーヨーなどを買ってもらった思い出があります。一番はまったのはカタヌキでしたが(笑。
夜など、色とりどりに飾られた出店が立ち並ぶ様は、子ども心に日常の世界とは異なる幻想的な空気を感じていた記憶があります、そもそも祭りの出店が並ぶ様子を縁日と呼んでいたような気がします。

「六十余州名所図会 江戸 浅草市」歌川広重(初代) 画
「六十余州名所図会 江戸 浅草市」歌川広重(初代) 画(1853年)出典:ボストン美術館

江戸時代には「浅草市」というものが、浅草観音附近で毎年12月の17,18日開かれており、そこでは正月用のお飾りや日常の台所用品など、生活に必要なありとあらゆるものが売られ、大いに賑わったということです。明治以降は、そういう生活必需品などを売る「店」が日常的に数多くでき「浅草市」は次第に廃れていきました。現在では同じ日に「羽子板市」が開催されています。

前回のほおづき市でも少し書きましたが、詳しく調べてみると、縁日とは、特定の神仏と縁を結ぶ日という意味で、その神仏の供養をし祭り(祭典)を行い、この日その神仏を念ずれば普段以上の御利益があるといわれる日です。
もとは仏教についての由来(縁)のある日を意味する仏教行事で、縁日はすでに平安時代から行われていたようです。神社でも神仏習合により仏教をまねして縁日が開かれるようになりましたが、もとより思想的な根拠がないのでお祭り色が強く、露店や見世物がたくさん出て、われわれに親しみ深いものになっています。

また、寺院が秘仏とする本尊を公開して仏法と縁を結ぶ(結縁/けちえん)機会を与える開帳を、この日1日だけする場合も多いので、縁日は会日(えにち)のなまったものとする説もあります。
なお、関西ではその前夜を縁日と呼ぶそうで、関東では普通その当日を言う、とか。

もとは年1回だったものが、参詣人の増加につれて月ごととなり、5日は水天宮、8日の薬師如来、10日の金毘羅、13日の虚空蔵(こくうぞう)菩薩、15日の阿弥陀如来、16日の閻魔、18日の観世音菩薩、21日の弘法大師、24日の地蔵菩薩と愛宕(あたご)権現、25日の天満宮、鬼子母神(きしもじん)のように8、18、28日となったものもあり、不動尊は2、7、28日などと雑多になり、加えて甲子(きのえね)の日は大黒、寅(とら)の日は毘沙門(びしゃもん)、巳(み)の日は弁天、午(うま)の日は稲荷(いなり)とされました。

下記は夏の夜の縁日の情景です。「ゑん日の景」歌川国貞 画(1820-30年頃)出典:国立国会図書館。虫売り屋、金魚売り屋、植木売り屋、この3つは夏の縁日には欠かせないものだったようです。

なので「朝に観音、夕に薬師」などといわれ、これらの縁日ごとに人気の高い神仏へ庶民が押しかけ、この日は御利益品や縁起物を扱う市(いち)が立って賑わいました。
記録に残されているだけでも、江戸の三大祭りである天下祭や、両国川開きの花火、浅草寺の四万六千日などのイベントには、江戸の各町から数万人単位で人の大移動が起こり、神田明神や浅草寺、両国橋近辺に大群衆が詰めかけたと記されています。

「東都名所高輪廿六日夜待遊興之図」歌川広重(初代) 画
「東都名所高輪廿六日夜待遊興之図」歌川広重(初代) 画(1820年代)全体図。出典:江戸東京博物館

二十六夜待(やまち)は、陰暦正月・7月の26日の夜半に月の出を拝むと、月光の中に阿弥陀、観音、勢至(せいし)菩薩の三尊が姿を現し、それを拝むと幸運を得ると言われていました。正月は寒いので、7月(陰暦7月26日は現在の9月上旬)の方が好まれ、江戸時代には品川・高輪周辺で盛んに行われていました。(下部を拡大した図です)

「東都名所高輪廿六日夜待遊興之図」歌川広重(初代) 画
中央拡大図
「東都名所高輪廿六日夜待遊興之図」歌川広重(初代) 画
右拡大図
「東都名所高輪廿六日夜待遊興之図」歌川広重(初代) 画
左拡大図

高輪の海岸沿いの料理茶屋で軒に提灯を点している所に多くの客が集まり、中では人々が茶菓酒肴を楽しむのみならず、鳴り物手踊、にわか(狂言)等を月が出るまで催し、そこでくつろぎ賑わう様子が描かれています。茶屋の傍にいくつもの屋台店が出ており、お汁粉屋・団子屋・麦湯屋・二八そば屋・天ぷら屋・イカ焼き屋・水屋・寿司屋・果物屋などが見られます。しかし、特にタコの着ぐるみを着た男性の破壊力あるコスプレが目を引きますが、即興にこっけいな寸劇でも演じるのでしょうか、気になりますw。

そして、縁日という大イベントに群衆が集まるたびに、商売人たちも集まってくるようになりました。
人が集まる場所には店舗が集まりますが、しかし当時は店舗を構えることができる場所は町人地でのみ許可されていて、人出が見込める神社仏閣の参道や、川開きの花火が行われる河原や橋上では店を出すことが禁止されていました。そこで移動可能なスタイルで商売を始めたのが、当時の露店商(人)たちです。

露店商は、1635年(寛永12年)頃から参勤交代が始まり江戸の人口の爆発的増加以降の18世紀からみられ、上方(かみがた)では乾(ほ)し見世、江戸では天道干(てんとぼし)といい、小間物、飲食物、古道具、古本などを主な商品としました。

「浪花名所図会 順慶町夜店之図」歌川広重(初代) 画
「浪花名所図会 順慶町夜店之図」歌川広重(初代) 画(1843年)出典:メトロポリタン美術館

順慶町は、筒井順慶の宅地があったことから名づけられたとされる現大阪市中央区南船場の旧町名。江戸時代、順慶町通は隣接する新町遊廓への東側通路にあたり「順慶町の夕市」「順慶町の夜店」として、また江戸後期には戎橋まで連なる夜店でも有名でした。

19世紀になると夜間に店を出す露天商が現れます。これは夜店・夜見世(よみせ)といい、大坂の方が早く江戸では文政年間(1818-30年)に起こりました。
この夜間営業は、1725年(享保10年)江戸の吉原の遊廓が官の許可を得て、灯火を明るくともして客を迎えたのが始まりと云われていますが、のちには露店商人が夜になって出店することだけをいうようになりました。
そして都市の盛り場などに常設的に出店するものが現れ、江戸時代中期以後、明治・大正期も盛んに行われました。

大正期には東京だけで1ヵ月およそ340の縁日があり、忌日をのぞき日に2・3ヶ所で縁日が行われ、市(いち)が立ち、見せ物小屋が並び、夜店も出て人々に親しまれました。のちに観光遊山の性格が濃くなり、縁日から宗教色が徐々に消え、出店が並ぶさまを縁日と呼ぶようになっていったようです。
品目も変化し、まだ宗教色が色濃かった頃は縁起物や薬や生活必需品などが、それが徐々に玩具や装身具などの品目が増え、娯楽的なものが多くなっていきました。

「江戸時代 縁日おもちゃ屋」無款
「江戸時代 縁日おもちゃ屋」無款(明治時代)出典:artelino-Japanese Prints

江戸時代は、まだ木や紙・土製の焼き物で出来たおもちゃが主流でしたが、明治時代はブリキ玩具、大正時代は明るくて軽いセルロイド製の玩具が人気を博しました。

現代では、信仰の枷(かせ)から離れた縁日は、日時・場所や理由も自由なフリースタイルのイベントへと進化し続け、まちおこし事業には欠かせないものとして定着しています。

縁日のおもちゃ
ぴょんぴょんカエル、カタヌキ、セルロイドのハッカパイプ、水笛、水ヨーヨー、振るとクルクル長く伸びるペーパーローリング

商品に二級品や不合格品の多い点が特徴ですぐに壊れますが、思い出深いおもちゃです。他にも、キャラクターのお面や風船など。賭けモノでは、金魚すくいやパチンコ・スマートボール・射的・くじなど。見せ物類は、大きな祭りになると、お化け屋敷や見せ物小屋など大仕掛けな屋台もでます。植物といえば、ほおづき市やあさがお市などが有名です。

曹洞宗大本山總持寺のお祭りと屋台
曹洞宗大本山總持寺のお祭りと屋台

というわけで、縁日は出店とは何の関係もない仏教用語でした。そして、出店は屋台や露店とも呼ばれ、屋台は移動式の屋根付き簡易店舗、露店は屋外販売店という意味で、夜だけ店をだすことを夜店とうことですね。

縁日を定義しなおすと、子どもにとっては(たいていのおバカなおとなにとっても)寺社に露店がたくさん出る日のことで、そんな店で、ちょっと高すぎるんじゃないのと首をかしげたくなるようなジャンクフードを買い食いしたり、すぐ死んでしまうヒヨコや金魚を買って帰っても許される日。
なお、縁日でカメや鳥などの生き物を販売していたのは、それらを買い取って自然に帰してやることで功徳(くどく/善い行いを心掛けることによって神仏から幸運を授かること)を積むためのものでした。家に持って帰って飼い殺しにしたのではバチ当たりもいいところですが、考えようによっては、飼われてエサを与えられていた生き物にとっては、突然厳しい自然界に帰される方が、“せっかく楽に暮らしていたのに、なんだよ”という心境かもしれない…。

とはいえ、自分の小さい頃では、ひよこのピーちゃんはまるまる肥えた雄鶏になり毎日明朝には雄叫び、でもある朝、鳥小屋には羽だらけで姿が見えず、また金魚のキンちゃん1号・2号もすくすく育ち、でもある日、金魚鉢の周りが水浸しで姿はなく、はたまた亀のミドリちゃんは冬に冬眠するだろうと植木の土に埋めてあげ、暖かくなった頃にはミイラになっていて…(汗、それ以降、縁日では生き物を買うことはしなくなりました、という苦々しい思い出があります。功徳を積む、なんて小難しいことはわからず自然の摂理を学んだ気がした体験でしたね。

出典:縁日
出典:夜店
出典:露天商
出典:日本語を味わう辞典

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