昭和レトロな玩具・家電・雑誌・家具などなどをご紹介

「花見」は、花より団子より宴会だった!

「花見」は、花より団子より宴会だった!

花見と言えば桜を指しますが、最初の頃は“梅見”だったそうです。
梅見…、何年か前に桜の花見は混むし待ちきれないとかで酒豪3人(男性)と井の頭公園へ昼頃から行った思い出があります。梅見というより単なる飲み会、夕方より場所を居酒屋へ移し夜中まで、、言わずもがな次の日は悲惨な二日酔いに(汗。やはりまだ寒いので梅見の宴会は適さないかも、さらっとお昼に弁当を広げる、がよさそうです。
ということで、日本人だったら誰もが好きな「花見」についてのお話です。

「千代田大奥 御花見」楊洲周延 画
「千代田大奥 御花見」楊洲周延 画(1894年)出典:国立国会図書館

この時代も桜の開花状況に合わせて花見の宴が催されます。江戸城(別名・千代田城)内の吹上御苑であちこちに幔幕を張り巡らせ、御台所や女中たちは新調の服を着て宴を楽しんでいるようです。奥のほうでは目隠し鬼をしている様子も見られます。

桜の木の下で飲食を楽しむことは、世界的に見ても日本にしかない珍しい文化だという。
花見の歴史は古く、古代においては春の訪れと農耕の開始期を知る手段でもあり、またその年の稲作の具合を花の散り方で占っていました。この時代に、桜(桜に限らなかった)の下で円陣を組んで神酒を供えた宗教儀礼・民俗的行事から、花見の習慣が生まれてきたという説もあります。

それが奈良時代になると、遣唐使がもたらした梅の渡来とともに梅の花を鑑賞する文化が伝わります。実際この時代の代表的な花として『万葉集』に梅が多く詠われています。
平安時代に入ると、遣唐使廃止を機に、伝来した梅ではなく、日本古来からある桜(京都は自生の桜が多かった)へと対象が代わり、貴族が桜を眺めて楽しむ、今のお花見の原型ができあがったと見られます。
『日本後紀』には、812年に嵯峨天皇が京都のお寺・神泉苑で「花宴之節(かえんのせち)」を催したと記されていて、これが記録に残る最古のお花見とみられ、神泉苑は“お花見発祥の地”として今も親しまれています。

以後、桜の植樹も都では盛んに行われるようになり、桜の花見は貴族の間で急速に広まっていきました。平安時代前期の『古今和歌集』でも、桜を詠んだ歌がとても多く残されていて、桜が“春を象徴する花”としてイメージされるようになっていることがうかがわれます。

「雪月花 吉野」葛飾北斎 画
「雪月花 吉野」葛飾北斎 画(1830年頃)出典:フランス国立図書館

満開の桜が雲のように描かれた吉野山の様子。古くから花の名所として知られている奈良・吉野の桜は、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が671年(奈良時代)に山桜を植えたことに始まり、平安時代頃から桜が植え続けられてきました。現在約3万本といわれ、そのほとんどが白山桜(しろやまざくら)です。

鎌倉時代初期には武士にも広がり、末期には地方でも花見の宴が催されていたようです。
安土桃山時代には、武士たちが外へ出かけて花見をするようになります。末期の豊臣秀吉が行った吉野の花見(1594年)や醍醐の花見(1598年)は有名で、吉野にはおよそ5,000人、醍醐寺には1,000人以上が参加した盛大な宴だったそうです。

一般庶民へと広まったのが江戸時代前期、中期には庶民生活に欠かせない行事になりました。江戸の桜の名所は、初めは上野でしたが、8代将軍吉宗が庶民の行楽のために、飛鳥山、品川の御殿山、隅田川堤、小金井堤などに桜を植えて花見の名所としました。中でも王子の飛鳥山には、1720~21年に多くの桜の苗木を江戸城内から移植したので、上野をしのぐ花見の名所となったそうです。

「江戸名所図会 飛鳥山(一部)」歌川広重 画
「江戸名所図会 飛鳥山(一部)」歌川広重 画(1843-47年)出典:味の素食の文化センター

近景に松、遠景に富士山を配して、広々とした飛鳥山の丘陵で思い思いに花見を楽しむ人々の様子。花見には弁当が付き物で、緋毛氈の上では女性のみの四人連れが重箱を広げ、折詰のほかに酒の燗をする道具、徳利、茶碗、急須などがみられ、三味線の音に合わせて手踊りを楽しんでいるようです。

「江戸自慢三十六興 東叡山花ざかり」歌川国貞 画
「江戸自慢三十六興 東叡山花ざかり」歌川国貞 画(1864年)出典:東京都立図書館

上野の高台となっている忍ヶ岡の桜は、寛永寺(東叡山は寛永寺の山号です)を創建した時に天海僧正によって植えられました。しかし、境内での花見なので、鳴り物はご法度、暮六つ(現在の18時頃)には下山させられるなど規制がきびしかったそうです。錦絵の右端には重箱が見え、これから花見の宴が始まるようです。

この頃の江戸っ子は男性も女性も着物をあつらえて着飾って出かけたので、1年でいちばん華やかな季節でもあったとか。
当時の桜の品種は、山桜や江戸彼岸が主でしたが品種改良もこの頃盛んに行なわれ種類は250~300種にもなっていたようです。現在の桜の大半は明治以後に全国に広まった染井吉野ですから、花の眺めにも移り変わりがあったのですね。

その後も次々に名所ができ、行楽の花見は広がっていき、現代も花見の行楽は続いています。

行楽に!お弁当の記事はこちら→見て楽しい!食べて美味しい!日本の弁当文化

盃と桜

「花見」とは、特に桜の花を眺めて楽しむこと。という意味ですが、「花より団子」という例えがあるように、「花見」は花を落ち着いて観賞するものではなく、仲間で集まって宴会を開き飲食を共にすることが重要で、このありかたは、神様にいったん捧げた供え物を下げて、神前で皆で神の恵みに感謝しながら(しかし現実は、酔っぱらって神様への畏敬も感謝もなにも失って)飲食を楽しむという日本の伝統的な祭祀の開催方式に起因するとみられます。なので、「花見」は“観賞することを名目に飲食を楽しむこと”と言い換えられます。
ということから、桜の季節が近づくと、わずか一週間ほどの開花期に、脳の大脳皮質の機能が失われ、花の開花状況やお天気が気になって仕事が手につかなくなり、会社の部下を見学地確保のための無法な領土獲得に走らせたりします。また、この「花見」の桜は、屋外で徒党を組んで酒を呑み、大声で歌い、裸踊りをし、口論し、殴り合う言い訳としてもよく利用されています(汗。

そして今年もまた、確かに桜は咲き、やさしい神様のように皆を見守りながら、儚く散っていくでしょう。なんか、諸行無常ですね!

出典:日本語を味わう辞典
出典:花見/Wikipedia
出典:花見/コトバンク

テキストのコピーはできません。