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ネコの背中の毛が焦げた、昭和な「掘り炬燵」が懐かしい

ネコの背中の毛が焦げた、昭和な「掘り炬燵」が懐かしい

自分が小さい頃の実家は、大工のじいちゃんが拘りぬいた純和風平屋一戸建ての家で、4.5畳(畳の大きさが、いわゆる中京間だったから今の約6畳ほどあった)の居間中央に半畳(90cm)の掘り炬燵(こたつ)が拵えてあり(夏は畳をかぶせていました)、これが椅子に座っているように楽で、寒い日はぬくぬくゴロゴロと過ごしていました。たまに複数人で寝転がった場合には“脚の置き場の奪い合い”という隠れたイベントも発生したりして(笑。
ただし、最初の熱源が練炭(後に電気)で、飼っていたちょっとお間抜けなネコの背中の毛が焦げた(臭いで気が付いたがネコはケロっとしてた)とか、一酸化炭素中毒?(ホゲホゲしてたが直ぐにケロっと治った)になった…などと大騒ぎした事がありましたが(汗。
やはり未だにコタツといえばミカンとネコ、そんなイメージがあるコタツについてのお話です。

「炬燵の娘と猫」歌川国政 画
「炬燵の娘と猫」歌川国政 画(1796年)出典:ボストン美術館。猫はこのコタツ空間に対して耐性があると言われている。

「こたつ」とは、電熱器付きの四角いテーブル(やぐら)を布団で覆った日本独特の暖房器具。物理的に身を掌握されて、あまつさえ精神まで乗っ取られ出られなくなるので、別名「堕落人間製造機械」とも(笑。
漢字では「炬燵」や「火燵」と書くほか、古くは「火闥」「巨燵」「火榻」とも表記されました。なお、これは日本での造語で「燵」は和製漢字だとか。また「こたつ」の語は「火榻子(かとうし)」の宋(そう)音に基づき禅僧が考えたものとされています。

炬燵の起源は明らかではないようですが、室町時代に、囲炉裏(いろり)の消えかけ(「おき」と言われる状態)の炭になった時に上に櫓(やぐら)を組み、紙子(かみこ)という紙で仕立てた衣類を被せ、櫓に足をのせて暖めていたのが始まりで、禅宗から広まったとされます。このため櫓も低く、形も上面が格子でなく簀の子になっていたそうです。
江戸時代初期までは小袖などの衣類を被せていたそうですが、中期以降、綿入り布団が普及すると現代のように布団を被せるようになったとされます。

そして、囲炉裏を床より下げ、床と同じ高さと布団を被せる上段との二段の櫓を組んだ足を入れられる掘り炬燵(切り炬燵、とも)となりました。更に囲炉裏の周囲まで床より下げ、現在の掘り炬燵の座れる構造の腰掛け炬燵ができました。

絵本和歌浦
「絵本和歌浦」高木貞武 画(1755年)出典:国文学研究資料館

部屋の床下40cm程度掘り下げ炉を切り、その上に櫓をのせた掘り炬燵。絵は男性が竹筒を吹いて炭を起こしているところのようです。

寛永年間(1624-44年)には、火鉢から発達した置き炬燵が登場しました。掘り炬燵は固定式でしたが、置き炬燵は持ち運び可能な土製の火鉢を45cm角程度の櫓の中に入れた移動式でした。この置き炬燵は江戸時代中期には広まり、昭和初期まで使われたそうですが、木枠の上に布団をかけるだけで板をのせたテーブルのように使うことはなかったようです。熱源としては、木炭や炭団(たどん/炭の粉末をフノリなどの結着剤と混ぜ団子状に整形し乾燥させた燃料。後に練炭や豆炭)などを用いました。

ちなみに、江戸時代は火鉢や炬燵を出す日というのが決まっていたとか。「炬燵開き」と呼ばれる日があり、旧暦10月最初の亥(い)の日(現在の11月中旬から下旬)、まず武家でこの日を境に暖房器具が解禁となり、12日後の2番目の亥の日に町家でも暖房器具が解禁されたそうです。また、寺院や武家では火鉢が客向けの暖房器具で、炬燵は家庭用でした。
なお、江戸時代中期頃は小氷期(14世紀半ばから19世紀半ばの約500年)にあたり、非常に寒かったのだとか。

「炬燵であやとりをする2人の娘」鈴木春信 画
「炬燵であやとりをする2人の娘」鈴木春信 画(1765年頃)出典:東京国立博物館

江戸では「あやとり」、上方では「いととり」、1本のヒモを指にからめて様々な形をつくるシンプルな遊びで、江戸時代に女の子や女性の遊びとして定着したようです。暖かい置き炬燵に入りながら2人の娘が楽し気に遊んでいます。

「水仙花 炬燵で向き合う男女」鈴木春信 画
「水仙花 炬燵で向き合う男女」鈴木春信 画(1769年)出典:ボストン美術館

ネコが丸まった置き炬燵を隔て、左に座る男は読書に夢中。相手にしてくれずつまらないのか、娘は炬燵から伸びた男の足の裏をくすぐり、男が顔を上げた瞬間に視線が娘と絡み合う…、トキメキが始まりそうな男女が描かれています。

住宅向け腰掛式掘り炬燵は、1909年(明治42年)にイギリス人の陶芸家が東京・上野の自宅に作ったのが最初とされます。腰掛け炬燵として使えるように、足を下ろす穴よりも炉の穴が深く掘られ、耐火性能を確保している点が特徴で、昭和初期には日本全国へと普及していきました。
そして、この深い炉の補充・灰掃除が大変なことから練炭コンロを入れて使う練炭炬燵や豆炭を使う豆炭炬燵が戦後登場し広く普及します。

掘り炬燵
省エネからみても効率が高く、長時間入っていても疲れない「掘り炬燵」
置き炬燵
昭和初期まで使用されていた「置き炬燵」。出典:金沢くらしの博物館

移動可能で脚を伸ばせる上部加熱式の電気炬燵は、大正後期に発売されましたが普及にならず、今と同じような炬燵が登場したのは1957年(昭和32年)、東芝からニクロム線熱源の「電気やぐらこたつ」が発売されてからになります。
その後、当初は熱源部分が白かったものが、赤くして温かさがきちんと伝わる様に見せた赤外線ランプ式が1960年(昭和35年)に登場し、世間に広がって大流行したようです。
以後、熱源部分は様々に改良されて、石英管ヒーターやハロゲンヒーター、カーボンヒーターなどを使ったものなど、安全で便利に、しかも効率の良いものへと進化していきました。
なお、炬燵自体は、家庭燃料の乏しい都市から普及していったとか。

ちなみに、都道府県別の炬燵の所有率1位は山梨で最も低いのは北海道、そして全国の約半数は炬燵を持っていないコタツ離れが進んでいるそうです。しかし、全国のなんと9割近くは「コタツが好き」と感じているとか(2018年12月ウェザーニュース調べ)。これは、家が狭くなったからなのが、はたまた堕落人間(←が正解のような)になってしまうからなのか不明です。
あと余談で、「コタツで寝たら風邪をひく」とよく言われますが、大体ホントのことだとか。これは下半身だけが暖かくなり過ぎてしまい、体温調節が上手くいかなかったり汗をかき過ぎたりすることが原因のようです。なのでコタツに入る際は十分な水分を摂り、どれだけ快楽的であろうとも睡魔に抗うようにすること、です。

置き炬燵

炬燵とは、腰から下を暖房して上半身は寒いにまかせるという、東洋医学の鉄則である「頭寒足熱」を地でいった健康器具であり、暖房費の節約にもなることから日本人の“もったいない”精神を体現した省エネ家電でもあります。
日本の伝統的な家は夏の暑さや湿度対策を重視して設計されたため、冬はすきま風が吹き抜ける寒々しい場所となります。そんな風通しのよい家で部屋全体を暖房するのはムダと考えたのか、日本人は陶器製の大きな容器に炭を入れた火鉢とか、部屋の中央を堀抜いて細々と火を焚いた囲炉裏、そしてこの炬燵など、局所的な暖房で寒さをしのぐ習慣を身につけた、と考えられます。
西欧風の建築工法が取りいれられ、断熱性の高い住宅ができるようになった現在でも、部屋を暖房せずに炬燵ですませている家庭は多ようです。おかげで、冬季は零下30度が当たり前というロシアのシベリア地方から来た人が、“日本は寒い、家の中が信じられないくらい寒い”と嘆くしまつです。
その炬燵ですが英語では「KOTATSU」とそのままで、日本固有の仕組みと思われがちですが、実はイランにも同じように布団に脚を突っ込む「コルシ」という暖房器具があるとのこと。入ってみたい。。

出典:炬燵
出典:こたつ
出典:掘りごたつ
出典:コタツ
出典:日本語を味わう辞典

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