やっぱり中に入りたい!麻で作られた緑色の「蚊帳」
風鈴や打ち水と並び、夏の風物詩として活躍していた「蚊帳(かや)」。
いまや蚊帳を見たこともない人も多いと思いますが、「となりのトトロ」で、ふと夜中に目を覚ました“さつき”が蚊帳の向こうにうごめくトトロたちを発見する場面、といえばおわかりでしょうか。
昭和30年代の終わり頃まで、蚊帳と蚊取り豚と蚊取り線香は“日本の夏”と同義語で、それまで夏の夜はどこの家にも蚊帳を吊っていたそうです。
蚊帳はいつから
蚊帳の歴史は古く「日本書紀(720年)」にその名が記され、奈良時代には使用されていたようです(前回の蚊遣器と同時期)。また、“蚊帳”という名称は「播磨国風土記(715年頃)」から出たようです。
中国から奈良へ蚊帳作りの技術者が渡来し、絹や木綿を使った蚊帳が本格的に作られるようになります。これは大和蚊帳または奈良蚊帳と呼ばれていたのだとか。
しかしその頃の蚊帳は、上流階級のみが使用できるぜいたく品だったといいます。蚊帳を使って虫に脅かされずに眠れることは、上流階級の特権だったんです。
蚊帳の記録が多くなってくるのは室町時代からで、「大乗院寺社雑事記(1450年)」などには、しばしば貴族や武士の間で蚊帳が贈答品とされていることが書かれており、この頃になると、奈良蚊帳の物産化もはじまったと記載されています。
その後、安土桃山時代終わり頃、近江国の八幡の商人が麻の糸で蚊帳を織るようになり、「八幡蚊帳」や「近江蚊帳」として流通するようになります。
しかし江戸時代に入っても、麻の蚊帳は“米にして2~3石分”の貴重品であったため、庶民は「紙帳(しちょう)」という和紙をもみほぐし張り合わせて作る紙製の蚊帳を使っていました。
なお、江戸時代初期、近江商人の西川甚五郎(ふとんの西川の2代目)が麻に萌黄(もえぎ/緑色)の染めを施し、縁(へり)に紅布を付けた萌黄蚊帳(近江蚊帳)として売り出したところヒット商品となり、この色彩が定着していったようです。それまでの蚊帳は麻そのものの色だったそう。
この蚊帳は1695年あたりから江戸町人の需要が増大し、そして庶民の間にも徐々に麻の蚊帳が広まっていったそうです。
ちなみに、昭和20年代後半の「六畳用本麻の蚊帳」の価格は約5,000円ほど、当時の大卒の銀行員の初任給にも匹敵しました。嫁入り道具の一つにもなっていたといいますから、生活必需品といえども気軽に購入できるものではなかったようです。高級品だったのですね。
虫よけ以外に雷よけ⁈
「雷さんが鳴ったら蚊帳の中」は、おはあちゃんが言っていたような気がします。ただ、雷が鳴って大急ぎで蚊帳の中にもぐり込んだ、という記憶はないのですが、「となりのトトロ」のあの場面みたく遊んで楽しかった思い出があります。
実は、蚊帳には雷よけとしてもちゃんとした意味があるそうです。蚊帳は部屋の中央に下げるもの、雷が落ちる時は家の壁伝いに流れるため、蚊帳の中に入ればおのずと壁から離れることになるため安全面で理にかなっています。
また、昔、麻は絶縁物として碍子(がいし)に使われていました。だから本麻の蚊帳に入っていれば安心と言う事だったのでしょう。
最近では
夏の必需品だった蚊帳は、昭和30年代に網戸そして扇風機やエアコンの登場により、徐々に家庭から姿を消していきます。
蚊帳の生産ピークは1960年代とされ、その当時には年間で約300万張りが生産されていましたが、近年にはその1%ほどにまで減少してしまったといいます。
しかし、2011年に起きた東日本大震災の後は節電対策として、そして虫除けスプレーやエアコンが苦手な人も出てきて、再び注目が集まっています。
蚊帳の種類も増えて、昔ながらの部屋を覆うタイプのものから、ベッドのみを覆うタイプ、ワンタッチで開閉ができるタイプ、網目で花粉を吸着する蚊帳、外からは見えにくく内側からは外が見えるプライバシーに配慮した蚊帳など、用途に応じて選べるようになりました。素材も、綿・麻・ポリエステルまで様々な素材が用いられています。
戦後の快眠グッズ「蚊帳」は、形を変えて現代の生活で役立ち続けているようです。
完全な麻で織り上げた蚊帳は、内部の気化熱で温度が下がるそうで、エアコンはなかったかもしれませんが、もしかすると現代より快適だったのは、この「蚊帳」のおかげだったのかもしれません。
(川崎にある日本民家園で展示されている近江蚊帳です)
あのワクワクする蚊帳の中で自然の風を受けながら安眠したい、、と思うのですが都会では無理そうです。なのでエアコンの風よけとして使うといいかもしれません。
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