グリーンティー=「日本茶」ではなかった!?
お茶というと、煎茶や番茶、ペットボトルの緑茶など毎日飲んでいますが、ほのかな苦みと心地よい爽やかな香り、飲んだ後はさっぱりとして何杯飲んでも飽きません。
炭酸飲料が苦手な人はいても、お茶が苦手という日本人は少ないような気がしますが、どうなのでしょう。
ということで、日本でよく飲まれている緑茶について調べてみました。
江戸谷中の笠森稲荷門前に店を構えていたお茶・お菓子・団子などを提供する健全な水茶屋(待合茶屋、色茶屋など裏の顔を持つ茶屋もあった)「鍵屋」で働いていた看板娘・お仙(右の女性、江戸三美人ともてはやさた)と、茶色の小台の上には店の名物の米団子(お仙団子)や床几(しょうぎ)と呼ばれる横長の腰掛などが描かれています。水茶屋は、路傍や寺社の境内などで、湯茶(白湯と茶)を飲ませて往来の人を休息させた店で、茶見世(茶店)ともいいます。
日本茶とは、日本で作られる茶の総称で、不発酵茶(茶の葉を摘採後ただちに蒸すなどして加熱し、葉を発酵・酸化させずに作るもの)である緑茶が大部分を占め、煎茶、番茶、玉露、玉緑茶、抹茶、粉茶などがある、と「飲み物がわかる辞典」にあります。
そのお茶は、当初は薬として、聖徳太子の時代(古墳時代~飛鳥時代)に大陸から仏教とともに伝来したようです。
一般に広まるのは、鎌倉時代の僧・栄西(えいさい)が抹茶を日本に伝えてからで、しだいに飲用が進むと室町時代には抹茶で茶道が生まれました。その後、千利休によって茶道の体系が完成し、さらに江戸初期には僧・隠元(いんげん)が煎茶をもたらしました。そして現在と同様に煎茶として飲む習慣が一般的となっていきましたが、庶民の生活に根づいたのは大正期中頃からといわれています。
大日本物産図会は、各地の名産品とその生産工程を一枚当たり2図ずつ描かれた100図揃い物の三代歌川広重による錦絵で、1877年(明治10年)8月に東京・第一回内国勧業博覧会に合わせて出版されました。博覧会の記事はこちら→約半世紀前と同様に世界イベント「万国博」が再び開催なるか!?
この製茶図は、茶摘みから蒸し・焙(あぶ)りなどの製茶工程と壺詰めまでを描いた絵で、覆下(おおいした)栽培(防寒や遮光の目的で覆いをして行う栽培方法)の様子も描かれいます。このような宇治茶が名産として描かれるのは江戸時代中頃から始まり、時間と手間をかけた製茶工程を知ってもらうことで宇治茶の価値を上げ、需要を拡大させたい生産者側の目的があったようです。なお、覆下栽培が認められていたのは京都の宇治のみだったとか。
ただし、日本に伝わったお茶は独自の発達を遂げたとされます。
ツバキ科の常緑低木・茶樹の茶の芽や葉は摘み取った直後から自身のもつ酸化酵素の働きで発酵を始めますが、この発酵のさせ方に多彩な種類のある中国茶や紅茶に対し、日本のお茶は大半が蒸気で蒸して発酵をさせない緑茶(葉の緑色を保ったまま飲料用に加工したもの)のみで、そのため、日本茶はお茶独特のうまみや渋みが味わえ、青っぽい香りが、より鮮明になったそうです。
製法により、日光をあてて育てた茶葉を蒸して揉(も)み乾燥させた一般的な煎茶、畑におおいをかけ日光をさえぎって育てた茶葉でつくられる高級茶の玉露、伸びすぎて硬くなった葉や茶畑の刈り込みでとれた茶葉で作られる番茶、番茶を焙烙(ほうろく)で煎ったほうじ茶、番茶や煎茶に煎った玄米を混ぜた玄米茶、製造途中でできる茶葉の粉だけを集めた寿司屋のお茶としておなじみの粉茶、茶の新芽を蒸して乾燥し茎や葉脈を除いて茶臼で微細粉にひいた抹茶(挽茶)などの種類があります。
ちなみに「紅茶」は、17世紀に中国茶がヨーロッパへ伝わり、18世紀に発明されたとか。また、「紅茶」は茶葉を完全発酵させたもので、半発酵の「ウーロン茶」、そして発酵させない「緑茶」に大別されるそうです。
「蘭字」とは“西洋の文字”を意味し、日本から海外に茶を輸出するときにパッケージや箱に貼られた多色木版画によるラベル。二代目(1826-69年)や三代目(1842-94年)歌川広重がこれを手がけていたことが知られています。欧米では浮世絵の伝統が生かされた日本の蘭字が本家(中国)をしのぐ人気を博し、日米開戦の頃まで多くの色鮮やかな蘭字が生み出されました。
また、日本の近代的グラフィックデザインの始まりは1887年(明治20年)前後とされていますが、それよりも前の蘭字からとも言われています。
日本の緑茶が海外へと輸出されるようになったのは江戸時代初期の1610年(慶長15年)のこと、オランダの東インド会社が平戸でお茶を買い付けてヨーロッパへと持ち帰ったのが、初の輸出と言われています。輸出が盛んになるきっかけとなったのは、1853年(嘉永6年)ペリー長官が率いるアメリカ東インド艦隊の浦賀来航でした。
5年後の1858年(安政5年)にはアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダと通商条約の「安政五カ国条約」(アメリカとの間で不平等条約である日米修好通商条約も調印)が結ばれ、明治に入ると1873年(明治6年)ウィーン万国博覧会や1889年(明治22年)4回目パリ万国博覧会に日本茶の出品と茶店を開設し評判を呼び、輸出量が増えていったとされます。
以後、曲折浮沈がありましたが、2000年代の輸出データを調べて見ると2004年(平成16年)頃から増加の一途をたどっていて2021年度は過去最高を更新、10年前の約9倍になっています。輸出先はアメリカがトップで全体の半分(その中の約65%が粉末状茶でスイーツに使用)、2位・ドイツ、3位・台湾(全国茶生産団体連合会、調べ)。健康志向の高まりが要因とありますが、感染症予防に効果ありとの情報もあり、これもあるような気がします。
ただ世界から見ると、その緑茶は日本では茶葉を蒸してから揉んで乾燥する「蒸製緑茶」が主流で生産量は1割強、最大の生産国は中国で、茶葉を釜で炒って乾燥する「釜炒製緑茶」を約9割輸出していて、これが世界中で飲まれています。
そのため、日本茶輸出促進協議会は、味や品質の違いをアピールして“グリーンティー=日本茶”というイメージの確立や、“SENCHA(煎茶)”や“MATCHA(抹茶)”という日本の言葉をもっと広める努力をしているとのこと。
ということで緑茶とは、摘んだ茶葉を蒸気で蒸して発酵を抑制させ、緑色を保たせた茶。イギリスで「茶(tea)」といえば「紅茶(black tea)」ですが、日本で「茶」といえば「緑茶」をさします。
しかし、「茶を飲みに行く」「お茶にしましょう」などと日本人が言ったときは、「喫茶店」をいう昭和な俗語「茶店(さてん)」からきていると思われることから、「コーヒーを飲みに行く」「休みをとってコーヒーでも飲みましょう」という意味になり、「茶」が「緑茶」どころか「紅茶」さえも意味しない場合があり、決して茶番を打っているわけではなくウソをついたと勘違いしないでいただきたい…(汗。
出典:日本茶
出典:緑茶
出典:世界に広まる日本のお茶/綾鷹
出典:コロナ禍でも日本茶の海外輸出が伸びている理由〜日本茶に学ぶ農産物輸出
出典:日本茶輸出促進協議会
出典:日本語を味わう辞典
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