負けるが勝ち、の「おまけ」
携帯ストラップやフィギュア、マグネットなど、商品を買うとついてくる、ちょっとした「おまけ」。
実用的なおまけから、コレクションしたくなるおまけまで色々とありますが、つい最近、スマホに付いてくるはずのおまけカバーケースが実はケース付を選んでなかった(落胆)、という失敗から、おまけについて気になり調べてみました。
「おまけ」とは売る品物にそえて、客に贈る品物(景品・粗品とも)。本来の商品に“おまけ”を付けることにより、無料で得るという満足感と割安感を与え、また“おまけ”そのもののもつ魅力によって別な付加価値を付ける効果もあります。
おまけの語源は「御負け」で、文字どおり客との駆け引きに“負けて”店側が値を下げることを指しますが、次第に、商品以外の景品などを追加することにも使うようになったようです。
始まりは江戸時代の18世紀、“富山の薬売り”で有名な「置き薬(医薬品配置販売)」の販売法からでした。
この販売法は、日本中を旅する薬売りが毎年訪ねる得意先との信頼を維持するため、サービスとして「富山絵」と呼ばれる浮世絵版画を提供していました。「売薬版画」ともいわれ、歌舞伎役者絵や名所絵(風景画)など様々な図柄があり、江戸文化を伝える媒体でもありました。昭和初期まで続いたようです。
明治期になると売薬版画以外に紙風船・食べ合わせの表・歌舞伎情報・レンゲの種子等も配られました。当時は“おまけ”の名でなく「進物」「土産物」と呼ばれていましたが、これが全国におまけ文化を広めた要因の1つでした。ただこの“おまけ”という言葉が全国的に使用されるようになった明確な時期や経緯は不明だとか。大正期には、縁日で使われだしたようです。
置き薬の詳しい記事はこちら→江戸時代から始まったおまけ付きの「置き薬」
また、1792年(寛政4年)、江戸の紅問屋(化粧品の卸問屋)の玉屋が開店の際、山東京伝(さんとうきょうでん/戯作者・浮世絵師)の著作を“おまけ”として配布して成功したのが有名で、当時、著名な戯作(げさく/通俗小説などの読み物)者の作品がしばしば景物本(景品の一種)として利用されたそうです。
明治時代に入ると新しい印刷技術の導入によって景品・付録の種類が増え、そして、マスメディアの登場によってその到達範囲が一気に広まります。当時のニューメディアである新聞や雑誌は購読者の拡大を狙って、双六や錦絵、写真を付録につけて評判を得ました。
そしてカードをおまけにした商品が登場します。
日本初の両切り煙草を製造した村井吉兵衛が、1891年(明治24年)に発売した「サンライス」と1894年発売の「ヒーロー」という自社煙草に当時欧米で人気のあった「たばこカード(トランプ花札、軍人の写真、西洋の女性画など)」を入れ、ブームを起こしました。ですが、このカード目当てに子どもの喫煙が増加し、それが社会問題となり1900年(明治33年)には満20歳未満の喫煙を禁止する「未成年者喫煙禁止法」が制定されます。
タバコの詳しい記事はこちら→「タバコ」のパッケージやポスターから視えてくるもの
大正期以降には子供向けの景品・付録が一段と多様化し、食玩(食品玩具/おまけとして玩具を添付した食品)の始まりといわれる「グリコのおまけ」が登場します。
グリコの詳しい記事はこちら→大人になっても欲しい「グリコのおまけ」
江崎グリコの創業者である江崎利一は、1923年(大正12年)、グリコに販売促進のため前述のタバコカードを基にしたカードや乳菓をおまけとして付け販売します。1927年(昭和2年)には「おまけ付きグリコ」としてメンコなどの玩具や銅製メダルを付けるようになり、おまけと商品を別パッケージに入れる「おまけサック」が登場するとグリコの生産量は2~3倍増と大きな発展を遂げ、現在も続くロングヒットになっています。
戦後は、1947年(昭和22年)に紅梅食品(紅梅製菓)がキャラメルのおまけに「野球カード」、1952年(昭和27年)岡山のカバヤ食品から50ポイントを集めると児童用文学全集から1冊プレゼントというおまけ企画を付けたカバヤキャラメルなど、次第に“おまけ付き菓子”は一般化し、おまけの工夫によって菓子の販売数が左右されるようになっていきました。
1960年代になると生活水準の向上とともにテレビが普及、おまけも変化をしていきます。
1963年(昭和38年)、明治製菓がスポンサーとなっていたTVアニメ『鉄腕アトム』のシールをおまけとして1961年発売の「マーブルチョコレート」に付けると、一躍、子どもたちに爆発的な人気となりました。これはキャラクターをおまけにした初めての食玩で、以降TVキャラクターの食玩化が激化することになります。
明治製菓の大成功により、のちに森永製菓は『狼少年ケン』、グリコは『鉄人28号』のおまけ付き商品を販売するなど、日本のキャラクタービジネスの先駆けとなりました。
1967年(昭和42年)「金なら1枚、銀なら5枚」でおなじみの森永製菓の「チョコボール」が発売されます。ランダムに付属するエンゼルマークを集めて応募すると「まんがのカンヅメ」という缶入りのオリジナル玩具詰め合わせと引き換えられました。1969年には「おもちゃのカンヅメ」シリーズが登場、第1号のカンヅメにはキーホルダーやミニそろばんなど、小さいおもちゃがたくさん入っていたとか。小さい頃、金のエンゼルを見事引き当てて嬉しかった!
同年、グリコから男の子用と女の子用のおまけがあるチューインガム「スポロガム」も発売され人気になりました。
1971年(昭和46年)、カルビー製菓(現・カルビー)から仮面ライダーカードをおまけとした「仮面ライダースナック」を発売、当時、子どもたちの間でスターやヒーロー、アニメキャラなどの「ブロマイド」が流行っていて、このライダースナックは発売後すぐに大人気となりました。
1977年(昭和52年)、ロッテはチョコをウエハースで包みおまけシールを封入した「ビックリマンチョコ」を発売、10回の改変を経て1985年(昭和60年)に悪魔と天使シールが大ブームとなります。
1978年(昭和53年)、“ガムの方がおまけ”といわれた後の高級化した食玩の祖となった「ビッグワンガム」が発売されます。おまけの“簡易プラ組立キット”の精巧さで人気を博します。
プラモデルやフィギュアを食品のおまけに付ける食玩は、1980年代発売のバンダイのガム付き「ミニプラ」などありますが、金型設計は、初期は駄菓子屋玩具を制作する駄玩技師が、のちにプラモ技師が担当するようになりました。
これまでのおまけとは段違いの造型クオリティーが話題を呼び、食品玩具ブームの火付け役となったのが、1999年(平成11年)に発売したフルタ製菓「チョコエッグ」動物シリーズでした。おもちゃの制作にあたったのは造形技術の高さを誇る各種模型を製作する「海洋堂」、そしてTVキャラクターの様な流行り廃りがない点やシークレットアイテムで、大人をも巻き込んだ社会現象が生まれました。
これにより、業界の拡大、質の高水準化、主力購買層の高年齢化等、食玩・フィギュア業界に与えた影響は大きいとされています。
以後、大人まで魅了する、まさに大人買いしてしまいそうな食玩たちが次々と登場しました。
以下、昭和レトロなコレクション一部です。
ブリキのおもちゃの詳しい記事はこちら→懐かし過ぎる「ブリキのおもちゃ」
なんだか食玩の話になってしまいましたが、“おまけ付き”の商品は飲料や入浴剤、雑誌、アニメDVDなど広範囲に存在します。
このように「おまけ」の歴史を見ていくと、その時代を移す鏡であり、時代を作る一つの要素でもあることがわかります。
現在でも広告キャンペーンや販促活動の重要な要素になっていますが、「御負け」というぐらいだから、“損をしてお客様に利益をもたらしていますよ”という気持ちを表しているのかも。ですが販売側にとってはトータルでの利益を考えての販売戦略で“負けるが勝ち”なのでしょう。
プレミアム(景品などのおまけ)が付く商品は、日常生活にささやかな楽しみをもたらす身近な販売促進手段といえるでしょうね。
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