昭和レトロな玩具・家電・雑誌・家具・建物などなどをご紹介

「文明は計ることから始まった」のかもしれない

「文明は計ることから始まった」のかもしれない

小学校低学年で竹の「物差し(ものさし)」を使ったことがあるという人も多いと思います。そして、小学校高学年や中学校などの場合は、授業で「定規」を使ったりもしますよね。
そんな2つの道具(実に沢山の種類を持っていまして捨てるに捨てられない定規たちなのです)についてのあれこれとしたお話です。

「計測」することから始まった

紀元前2500年~2000年頃、イギリスの“ストーンヘンジ”では、何らかの方法で太陽の動きを計測し位置を割り出し夏至の日を確認したのではと考えられています。
同じ頃、発達した都市国家を開いたシュメール人によるメソポタミア文明では、大麦や葦・棒・稲穂・牛の角など、身体では指や腕などを単位として、様々なものを計測や計量したことがわかっています。

色々な定規ものさし
6種類の異なる縮尺目盛りが刻まれている木製三角スケール、アルミ三角定規45度、寸でも測れるアルミ巻き尺(六尺六寸=約2m)、30cm竹物差し、30cmアルミ製直尺、鉛筆型文鎮

日本では紀元前10,000年前までさかのぼって長さの単位を使っていたことがわかっているそうです。
西アジアから中国大陸を経て日本に長さの「尺」という単位が伝来します。701年には既に「尺」は使われていたそうですが、法隆寺が607年頃に完成したことから考えると不明です。
「尺」という単位は、中国最古の商(しょう)又は殷(いん)王朝(紀元前17世紀頃~紀元前1046年頃)の頃には、すでに存在していたとされています。女性が手を広げたときの親指の先から中指の先まで、又は中指から手首までの長さと考えられて、1尺の長さは17.3cmでした。
日本では藤原京や平城京から出土した「ものさし」から長さは約29.6cm前後だったことが分かっていいるそうです。ちなみに、日本で出土した最古の「ものさし」は7世紀以後からだとか。
また、共通の長さを単位として定めたのは藤原京の時代(694年~710年)だといわれ、尺・寸(尺の1/10)を用いました。
なお、世界最古の木造建築として知られる法隆寺を建立した聖徳太子(“大工の神様”と呼ばれています)は、大工道具の「曲尺(かねじゃく/寸法をはかったり線を引いたりするときに使う直角に曲がった物差し“さしがね”のこと)」を考案し、単位を1尺に統一しました。

色々な定規ものさし
5mm方眼目盛り付き45度と60度三角定規、勾配定規、全円分度器、楕円分度器、雲形定規

安土桃山時代の1582年~1598年にかけて豊臣秀吉が租税賦課の基礎条件を明確にするため全国的な検地を行いました(太閤検地)。この時、地方によって違っていた長さの基準を統一し「太閤検地尺(ものさし)」を作り、1尺が30.3cm、1寸は3.03cmに決められました。
しかし、江戸時代に入ると、職種(曲尺、鯨尺、呉服尺ほか)や地域で異なるものさしが使われるようになりました。
明治に入ると1885年(明治18年)にメートル条約(メートル法の統一と普及を目的にパリで締結された条約)に加盟。1893年(明治26年)には尺貫法(長さに尺、重さに貫、体積に升を基本単位とする法)が完全に統一され、この時、1尺が30.3cmと決められました。
1951年(昭和26年)制定の計量法で、尺貫法は計量単位としては廃止、この時まで尺とメートルが併用されていました。

色々な定規ものさし
幅100mmの5mm方眼目盛り付き直線定規、30cm溝付直線定規、30cm両側目盛り付直線定規、ステンレス完全スコヤ目盛15cm、円・楕円定規3点

ただし、建築業界や石材加工や和裁などの分野の利用は便に資するため、尺・寸に変わるものとして「尺相当目盛り付き長さ計(表は一尺の単位、裏にメートル単位の目盛りが書かれている物差し)」が認められています。又、剣道の竹刀の長さには今でも「尺」が使われています。

「ものさし」「定規」の違い

「ものさし」は物の長さを測る道具、必ず端から目盛りが付いていて、軽い材質で作られた竹製や温度変化があっても伸縮が少なく正確に測れるステンレス製があり、まっすぐな板状のものが主流です。一方「定規」は筆記用具やカッターなどを使って直線や曲線を描いたりカットしたりする道具です。
「定規」の歴史は紙が一般に普及したところから近年始まったと考えられています。建築業界で使われていた鉄尺または曲尺などにより代用され裁断用に使われた定規的なものだったのではないかといわれています。

出典:定規・ものさしの歴史
出典:定規とものさしの違いって?
出典:日本計量史学
出典:

畳のサイズが違う訳

和室

余談ですが、同じ6畳の部屋の大きさ、東日本が小さいのは徳川家康の所為だった!
領地を測る時の1間(けん/畳の長辺にほぼ相当)、時代によって違っていたらしい。

織田信長の時代は六尺五寸を1間、豊臣秀吉は六尺三寸を1間、徳川家康は年貢米を多く徴収したいためか1間を六尺に小さくしてしまった。なので京間(約191cm)と江戸間(約176cm)の差は約15cmも違います。

ちなみに、京間6畳分の広さに何畳敷けるかによると、中京間(182×91cm)の畳は6.6畳、江戸間(176×88cm)の畳は7.1畳、もっと小さいUR住宅の団地間(170×85cm)の畳は7.6畳、同じ6畳でも大きさが違うわけです。そもそも畳の大きさに明確な決まりはないそうで、現在、新しく建てられる家の和室は全国的に「江戸間」サイズの設計が多いのだとか。
出典:畳のサイズ、東に行くほど小さい理由

色々な「ものさし」

学生の頃、建築の勉強もしていたから物差しや定規の種類が多く持っているのですが、最近では、遊び心がある定規や物差しも出ています。
京都大学生協で売っている「素数ものさし(計算しないと測れない“素数”の目盛りしかない)」は、数学の勉強や知育グッズとしてもよさそうです。
1.5cmを1世紀(100年)とした目盛りがある「歴史を見るモノサシ」、時代の長さや順番が直感的にわかるのがいいですね。
単位の換算がひと目でわかる「単位換算定規」面積、長さ、液量、重さ、体積の5種類の単位に対応。簡単な操作で単位換算ができるのは便利そうです。
“0.1mm”が測定できる「チタンものさし ミクロン10 Premium Edition」、最初の10mm(1cm)だけに1mmの間に0.1mm(100ミクロン)の目盛りが刻まれています。これを使う人はいるのだろうか。ちなみに、手前味噌ながら1mmに間を開けて10本線を描くことがました。なので目視で大体は太さがわかったものです。精密な切削技術を持つ熟練職人のちょっとした遊び心によって作られた物差し、という感じですね。

最後に、英語では“scale(スケール)”と表記する「ものさし」には“人やものの価値をはかる尺度”という意味もあります。
「他人の物指し 自分のものさし それぞれ寸法がちがうんだな」相田みつを(詩人・書家)作。意味は“他人の物差しで自分を測ろうとしても正しく測ることはできない。また、自分の物差しで他人を測ろうとしても正しく測ることはできない。”名言ですね!

テキストのコピーはできません。