昭和の「買い物かご」は買い物のよきおともだった
最近は、買い物をする時はマイバッグがお供になっています。
でもこのシステムはエコを目的に始まっていますが、昭和40~50年代頃までの買い物には“買い物かご持参”のスタイルが一般的でした。
スーパーがなく小売り商店で買い物をしていた時代は、商品はお店で包んでもらってから自分のカゴに入れて持ち帰る、買い物かごが今でいうエコバック的な存在でした。
そのかごは、ピクニックバスケットのような籐で作られたものでなく、色とりどりのビニール素材を巻いた針金で編まれた柔らかく弾力のあるもので、どこの家にもこの買い物かごは置いてありました。
そして、豆腐は豆腐屋に鍋を持って買いに行く(又は豆腐屋が売りに来て鍋に入れてもらう)のが当たり前で、プラスチックのゴミなどはほとんど存在しない社会だったのです。
レジ袋が出るまでは、肘から買い物かごをぶら下げたお母さんがあふれかえってた、それは近所の商店街などでよく見掛けられた情景でした。
映画「男はつらいよ」初期の作品では、妹のさくらが買い物かごを下げているシーンがよく出てきます。1984年(昭和59年)の第33作目でもまだ使っていましたが、以降、買い物かごが出てくるシーンはなくなりました。
また、昭和戦後史を代表する漫画「サザエさん」も、買い物かごを持って買物に出かける場面が頻繁に描かれています。
高度経済成長が進む1970年代に入り、丈夫で安価なポリエチレン製のレジ袋が急速に普及していきます。
それと同時期に、駐車場を完備した大型スーパーが発展するようになり、魚屋や八百屋等の小売店は徐々に衰退していきました。そして、買い物かごを手に提げて買物に出かける光景も見られなくなりました。
しかし1973年のオイルショックを経て、石油資源のムダ遣いを見直す運動や増え続けるゴミ問題などをきっかけに、買い物に専用布袋の試験導入や、レジ袋の再利用促進などの啓発活動が徐々に盛り上がっていくことになります。
1992年、ドイツで普及していた布製エコバッグが日本に紹介されると、1994年頃から大手スーパーなど量販店も販売を開始します。これら大手量販店は、レジ袋の辞退者にポイント還元や2円程度の割引サービス、そしてエコバッグの販売を併用したため、レジ袋削減運動という「マイバッグ運動」が定着していきました。
今では魚や肉などラップに包んだ発泡トレイが普通ですが、昔は経木(きょうぎ/スギ・ヒノキ等の材木を紙のように薄く削ったもの)で食品の包装などに使用われていました。そう、燃やしたって土に埋めたって「毒性」の出るものは無かったのです。
それが、ポリエチレン製のレジ袋やラップに包んだ発泡トレイにより便利で衛生的で安心安全になり、衛生的=使い捨てという理論がゴミを大量に増やし、安心安全=食品衛生法というものが再生不能なゴミを大量に増やしました。エコであってエコじゃないんですね。
出典:マイバッグ運動
出典:エコバッグのはじまり
なお、現在ゴミと言われているものは大概が容器であって、日本が発表しているプラスチックごみのリサイクル率は世界最高水準の84%とされていますが、その内の60%、つまり7割強が炉で燃やされているのが現実です。
出典:プラごみリサイクル率84%の実態-Forbes
かつては、近所に商店街があり、ちょっとそこまでの距離だからこそエプロンとつっかけ(サンダル)で、“買い物かご”をさげて出かけられたのかもしれません。商店街の姿も徐々に消え、“買い物かご”も見ることもなくなりました。
折りたためるコンパクトなエコバッグもいいですが、昭和の主婦のように堂々と買い物かごを持ってスーパーに行ってみたくなったりしますね。昭和時代の “ 買い物かご ” こそ、理想的なエコバッグなのかもしれません。
そして、今年の7月1日から、国内のすべての店でレジ袋の有料化が義務付けられるそうです。
-
前の記事
昭和のパワーあふれる革新的なポスターデザイン 2020.02.06
-
次の記事
単なるリアル模型ではなかった「食品サンプル」 2020.02.10