懐古と回顧が入り交じる「昭和レトロ」
いま生きている私たちが感覚的にリアルにとらえられる程度の過去への少しの愛着、昭和というレトロな写真を、もう出会うことができない「昭和レトロ」のパート3としてまたまた紹介します。
もう出会うことができない「昭和レトロ」のパート2はこちら→もう終わり、かもしれない「昭和レトロ」
“おこげができない、スイッチ一つでご飯が炊ける-”、炊飯が終了すると自動でスイッチが切れる国産初(世界初)の自動式電気釜は東京芝浦電気(現・東芝)から1955年(昭和30年)に6合炊き定価3,200円で発売されました。当時、大卒の初任給は5,000円から10,000円ほど、50,000円前後はする洗濯機や冷蔵庫に比べて安価であったことや実用性も高かったことから電気炊飯器は一気に普及したようです。
この当時の炊飯器は保温機能を備えておらず、最後におひつに移す作業が必要で、すぐに冷めてしまっていました。そうした中で、象印マホービンが1965年(昭和40年)に電子制御の保温機能を備えた電子ジャーを発売、年間200万個を売る大ヒット商品となりました。なお、この写真のような花柄が流行ったのは、経済が上り調子になり豊かになった1967年(昭和42年)から。現在、何か起爆剤が必要かもね。
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ヘチマは糸瓜と表記されインド原産のウリ科蔓性植物、日本へは江戸時代の初めに伝わったとされます。きゅうりを太らせたような形状のヘチマの実を腐らせ乾燥させ、残った繊維でつくったものがヘチマたわしです。なお、若い実の切り口を瓶に挿しておくと液体が溜まり、これがいわゆるヘチマ水で、化粧水として江戸時代から使われています。昔、入浴用に使っていたけど最初は痛いよね。でも自然素材で皮膚には良さそうです。
発熱を伴う疾患で、前頭部を冷やすには氷嚢(ひょうのう)が用いられ、後頭部を冷やすのに使われた水枕。国産初の水枕は、1903年(明治36年)-04年頃に兵庫県のラバー商会が製造、1923年(大正12年)にはダンロップによりシームレスタイプの水枕が開発され、ほぼ現在の形の水枕になりました。これによって堅牢で水漏れなく長持ちするようになり、冬は湯たんぽにも用いられました。写真の水枕は昭和30-40年代のもの。
江戸東京博物館に、高度経済成長期の集合住宅「ひばりが丘団地」の間取りのなかで一番多かった2DKの一部を実物大で忠実に再現されています。ダイニングキッチンにステンレス製の流し台が設置され、浴室と水洗トイレ、壁掛型洗面器まで住戸内にある団地暮らしは、当時最先端であり、庶民の憧れでした。記事はこちら→食事をするところは「ダイニング・キッチン」それとも「居間」?
主婦のあこがれの電化製品だった電気冷蔵庫、国産の家庭用電気冷蔵庫は、1930年(昭和5年)に芝浦製作所(東芝の前身)が製造したのが始まりで、1950年代後半(昭和30年代)からの高度成長時代に普及し、電気冷蔵庫は白黒テレビや洗濯機と共に三種の神器の一つと呼ばれました。写真の冷蔵庫はドアの取手の部分に鍵が付けられていますが…、どんな時に鍵をかけたのでしょうか気になります。
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容器に水を蓄え、下に付いている細い棒を押し上げると栓が開き、手先を洗う程度の適量の水が流れるという仕組みの手洗い器、水道が普及し、室内のいたる所で蛇口をひねれば水が出る暮らしになって日常から姿を消していきました。写真はプラスチック製ですが、ホーロー製やブリキ製もあったとか。小さい頃、おばあちゃん家のトイレにあったのを思い出しましたが、でも自分はあまり使わなかったような(汗。
色とりどりのビニールを巻いた針金で編まれた買い物かごを片手に提げて八百屋さんに晩ご飯の材料を買いに行く、昭和40年代頃までは商店街などでよく見掛けられた情景でした。昭和30年代頃まではイグサなどの植物で編み込まれた手提げかごがよく買い物に使われていて、その後、竹製かごやビニールを巻いた針金で編まれたものに変わったとか。記事はこちら→昭和の「買い物かご」は買い物のよきおともだった
電気洗濯機の登場により過去の道具となった洗濯板、しかし洗濯板を用いた洗濯が一般的になるのは大正時代からだとか(それまでタライを用いた手洗い・手もみ・足もみだった)。最近では見直され、汚れのひどいモノや少量の洗濯をするために重宝されていて、写真などの洗濯板の他、樹脂製や小型の洗濯板も販売されています。1990年代に流行った〇乳の対義語である例えにも使われたけどね(汗。
昭和初期に木製やアルミ製のものが出回り、高度成長期になると安価で安っぽくすぐ劣化するプラスチック製のものが増えたようです。昭和30年代のアルミ製洗濯挟みには、ダイヤピンチや江戸っ子ピンチなどの名前がつけられていました。アルミの軽さと薄さと弱さが伝わってくる儚い感触だけど、アルミ製のものは長年使うことができたとか。「ピンチ」という言葉も懐かしい言葉かもしれません。
日本家屋の木製引き違い戸で、室内側から鍵を鍵穴に入れて回転させることで戸を締めつけて固定させるネジ締まり錠。建てつけが悪くなると当然この金具の位置がずれ、うまく鍵をかけられない事態も頻発しました。昭和39-40年頃からアルミサッシが普及しあまり見られなくなったけど、ガラガラ、ピシャッとガラス窓を閉め、カラカラとネジを回して鍵を閉める音が耳に残っています。
昭和30年頃のハエたたきで、フレームは針金で作られ、たたく部分は金網が取り付けられていました。お勝手(キッチン)などハエのよく出没する場所の柱にくぎを打ち、いつでも手が届くように準備され、息を殺してそっと近づき、ハエを仕留めます。家族の中にその達人が一人はいたような。他にも、天井からつり下げられた粘着テープのハエ捕りリボンも多くの家庭で使われていました。
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前回、レトロのことを「懐古趣味」と書きましたが、おそらく「回顧」の方が合っていそうな感じがします。
懐古とは昔の事を懐かしく思うことで、“あの頃は良かった!”と昔の事を肯定的に振り返ってみる場合に用いられ、回顧とは過ぎ去ったことを思い起こすことで、昔の事を客観的に振り返ってみる場合に用いられるそうです。
なお、ノスタルジア(懐古)は安らぎや幸福を与えることが明らかにされていますが、しかし現実が不安定だと人は過去の栄光や思い出にこだわり、強いノスタルジアによって現実を受け入れられなくなり、“あの頃を知らないなんて可哀想”など若い人を見下して優越感に浸り、自分を肯定し他者を否定するようになってしまうのだとか。このような方、たまに見受けられますよね。
自分にとっては、“あっ、この写真のモノは何だっけ”、と小さい頃の記憶を引き出しあれこれ調べる、まるで脳トレでもしているような気がします。
ちなみに、脳トレとは、脳のトレーニング、能力トレーニングなどの略で、放っておくとどんどん腐っていく脳に鞭打って、賞味期限を少しでも長く延ばすための防腐技術のこと。ただし、生菓子を賞味期限が3カ月過ぎても問題なく食べられるようにする防腐剤と違って、その効果のほどには疑問あり、特に生まれたときから半分腐っている脳は、いくらトレーニングしても蘇生するのは難しい(えっ、自分?)…とも言われている(汗。
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