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身近にあるのかもしれない「桃源郷」という場所

身近にあるのかもしれない「桃源郷」という場所

ソメイヨシノに交じっておそらく桃の花も咲いている季節、桃というと桃源郷を思い浮かべますが、今回はどの人も心の中で密かに探している理想郷のことについて考えてみました。

その桃源郷の語源は、陶淵明(とうえんめい/365-427年)の作品『桃花源記(とうかげんき)』が出処になっています。
桃源郷は桃源境とも書き、仙境(仙人が住むという俗界を離れた静かで清浄な土地)や地上の楽園または別世界、日本における常世国(とこよのくに)のような、という意味です。
ちなみに、西洋の「ユートピア(どこにもない場所、という意味)」とは理想郷としては同じですが思想が違うようです。1516年にトマス・モアの書いた政治的空想物語に由来し、現実には存在しない理想の国家(社会主義国家)あるいは社会(共産主義的社会)を意味するのだとか。
出典:コトバンク

「武陵桃源」渓斉英泉 画
「武陵桃源」渓斉英泉 画(1830–36年)出典:ボストン美術館

物語は、中国・東晋(とうしん)の太元年間(376-396年)に、主人公である武陵の漁師が谷川を船で下っているうちに迷ってしまい、いつしか桃の花が咲き乱れる不思議な景色に出会う、いうところから始まります。
桃の林を進んでいくと山の麓に小さな洞窟が開いており、奥から光が差し込んでいるので船を降りて洞窟をくぐって行きます。そこは、秦代(紀元前3世紀)の戦乱を避けてこの山奥に移った人びとの子孫が、数百年にわたって世の中の推移も知らず、平和に暮らしている村でした。つまり、この村は自国の政治から切り離された、完璧な自給自足がなりたっている箱庭みたいな、俗世から隔絶された異世界だったのです。
そして、数百年もの間“外の人間”を見た事も聞いた事もない住人たちは珍しがって歓待します。
主人公は数日留まってから村人に別れを告げますが、「外の人間にココの事を決して口外しないでほしい」と頼まれます。無事に異世界から現実世界に帰りますが、こうした希有な体験をした者の常で、結局主人公はその村のことを土地の権力者にペラペラしゃべってしまいます。その権力者の要求で捜索のチームを遣わして探したのですが、全然見つからず、主人公もその場所にもう一度行こうとしても、もう二度とあの桃の林すら見つけることはできず、以後誰もその村に行き着いた者はいなかった、というのが結びです。
その後いつしか人々は、漁師が見た美しい里を「桃源郷」と言うようになったそうです。

なお、陶淵明の生きていた時代は戦乱の続く混乱期だったようで、苦悩の現実から逃避したいという気持ちから当時は陶淵明以外の作家の作品でも神仙の住む理想郷に遊ぶ詩が作られていたようです。戦乱が続いて混迷している当時の国ですから、平穏無事に数百年暮らせている世界というだけで十分に楽園の条件を備えていたのでしょう。だとしたら、約260年間続いた江戸時代は今から思うとある意味日本の幸せな時代だったかもしれない、と思ってしまいます。

「武陵桃源図」春木南溟 画
「武陵桃源図」春木南溟 画(1871年)出典:東京国立博物館

他にも、異世界へ迷い込む描写というと、『不思議の国のアリス』のウサギの穴とか『千と千尋の神隠し』のトンネルをくぐり抜けるシーンも思い浮かべますが、産道の寓意的なイメージなのでしょうか、典型的なパターンのような感じがします。
おまけに、たぶん日本の昔話にもよく出てくる「隠れ里」のイメージは、この『桃花源記』の影響を受けているかもしれません。

『桃花源記』に描かれている桃源郷は、自然と共に質素な人々が平穏に暮らす小さな隠れ里です。そこでは、物質的にはたしかに不便で、たいした娯楽もなく、一見退屈な世界のようにも思えますが、人間の本当の幸福は、次から次へと欲しい物を手に入れる豊かさだけにあるのではなく、精神的自由、心の平安こそが本当の人間の行き着く幸福のカタチなのかもしれません。老子の理想とした国のあり方「小国寡民(しょうこくかみん/小さい国で国民が少ないほうが平和にまとまる)のようです。(現代はその対極になっていますが)

千と千尋の神隠し
映画「千と千尋の神隠し」Studioジブリ(2001年)出典:ファンCaps.net

『桃花源記』の漁師は自分の手柄にもなるという欲から話してしまう、権力者は新しい植民地ができると思い欲をだす、『千と千尋の神隠し』の千尋が迷い込んだ世界は八百万の神々が集う場所ですが、社会に侵食され自分勝手な欲を持った両親は決してその世界を見ることも感じることもできなかったと思えば、邪な欲を持って社会の毒に侵された人は桃源郷を見つけられないかもしれません。
おそらく、まだ幼い子供時代は純粋で欲がなかったから、そのような世界に行けたのでしょう。

そして、『千と千尋の神隠し』主題歌「いつも何度でも」最後の部分の歌詞

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

探し求めていたものは、どこか遠い辺境の異国に存在するのではなく、身近な所にいつもあった、というのもひとつのゴールだと思います。身近なところとは、心の世界であり、心の中に楽園を抱く人は、どこで暮らそうともその場所が楽園になる、という境地こそが本当のゴールなのかもしれません。
また、忙しく全く機械的な生活をするようになった現代人にも忘れかけている、その深層心理に平和で懐かしい幼少の時代の気持ちも忘れてはいけないような気がしました。人間にとって一番大事な感情はノスタルジア(懐かしさに伴う儚さ、哀しさ、或いは寂しさ、しみじみ想いを馳せる心境)なのかもしれません。

出典:桃源境
出典:桃源郷
出典:桃源郷が伝える理想的な生活

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