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根拠が無いと言えば無い、あると言えばあるのかもしれない「厄年」

根拠が無いと言えば無い、あると言えばあるのかもしれない「厄年」

皆さんは「厄年」って気になるでしょうか。
自分は女性の大厄とされる後厄の34歳の時に風邪をこじらせ1週間寝込んでしまった事があり、他に周りの人に聞くと病気や交通事故など起こしていて、やはり厄年の大厄って関係あるのか、少しは気にかけた方が良いのかなと思いました。
しかし、後からもしかして厄年だったから、と感じただけでした。なので、そもそも厄年って何?ということで調べてみることにしました。

弘法大師像
「弘法大師像」(鎌倉時代・14世紀)出典:東京国立博物館

平安時代初期の僧・空海(弘法大師)は真言宗の開祖として、江戸時代には「お大師さん」として人々から親しまれていました。弘法大師を祀る関東厄除け三大師は、西新井大師・川崎大師・観福寺大師堂

元三大師・角大師
「元三(がんざん)大師・角(つの)大師」(1785年)出典:Wikipedia

良源(元三大師・慈恵)が夜叉の姿に化して疫病神を追い払った時の角大師像で、厄除け魔除けの護符として広い信仰を集めています。元三大師を祀る関東の三大師は、佐野厄除け大師・青柳大師・川越大師

厄年の起源はというと、伝聞として空海(弘法大師)が密教と一緒に伝えたと言われています、が伝来した時期の特定はできていないそうです。
なお、他にも“道教や陰陽道に起源があると考えられている”とありますが日本の厄年に繋がりそうな記述が見当たらないので定かではなく、後から付け加えられたことかもしれません。

文献資料として残されているものとなると、平安時代の『源氏物語』に「三十七にぞおわしましける、慎しませたもうべき御年なるに」という記述や、鎌倉時代の歴史物語『水鏡』に「三十三を過ぎ難し」、室町時代の『高国記』では「太栄五年四月、高国四十二の重役とて出家す」など、特定の年齢に関して言及したものがいくつかあるようです。
また、「厄年」という字は平安時代中期に成立した長編物語『宇津保(うつほ)物語』が初見とされ、貴族たちの間では毎年のように厄払いが行われていたとされます。

しかしどれも人生の帰路を迎えたことや健康上注意すべき年齢について記したもので、この当時は十二支での生まれ年の、12年一回りの年を厄とする風潮があって、男性42歳、女性33歳が本厄といったような現在の厄年の形は定まっていなかったそうです。

はっきりと厄年という言葉でその概念が出現するのは江戸時代になってからで、1712年に編纂された百科事典『和漢三才図会』には「今の俗男女厄を分つ、その拠るところを知らず。男四十二を大厄とし、その前年を前厄といい、翌年を跳厄(はねやく)といい、前後三年を忌む」、また1811年の随筆『燕石(えんせき)雑志』では男性の25歳・42歳、女性の19歳・33歳が語呂合わせで厄年という記述がみえますが、その本質は説明してなく何となく忌むべき存在として認知されていたとされます。

なので、この当時の庶民の「厄落とし・厄逃れ」は自分たちでできる、祝儀や物を配る(贈与により厄を無くす)、人を招いて振る舞う(共食により厄を分散させる)など、また厄年の親から生まれた赤ちゃんを一度手放す(生まれた子どもへの影響をなくし無事成長を祈願する)ということも行なっていたようで、いわば験担ぎ(げんかつぎ)のようなものでした。
住宅に関しては新築や増築は厄年に行うことで却って厄落としになると考えられていたようです。反面、引っ越しと井戸替え、隠居と商売変えは禁忌とされました。
つまり、捨てる・貰う・贈る・振る舞う・新しくする、は厄落としに良いですが、“変える”は“返る”で、厄が自分の身に返るに通じる、ということと捉えられていたとか。

「東海道五十三對 袋井」三代歌川豊国 画
「東海道五十三對 袋井」三代歌川豊国 画(1845年)出典:大英博物館

この絵は龍女伝説として構成された美人画ですが、厄年を避けようと三角形の連続模様・鱗(うろこ)模様の衣類を身に着けたりしました。また鱗模様は龍・蛇や蝶を連想させ脱皮して厄を落とし再生するという意味があり、厄年が生命力の再生の年とも考えられていました。なので鱗模様は厄除けの文様とされていたようです。

現在のような厄年に神社や寺院へ行き、お祓いや祈祷をしてもらうという習慣は江戸時代後期に始まり、新たな宗教行事として定着したと言われています。
年齢も各時代時代で注意すべき年として様々とあり、現代まで残った伝承として、男性は数え年(生まれた年を1歳や1年とする数え方)の25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・61歳にほぼ落ちついています。特に大厄(本厄)とされる男性42歳・女性33歳に関しては、1000年もの長きに渡り受け継がれている年齢のようです。

その年齢の江戸期における社会的な節目として、男性25歳は隠居した父の後を継いで当主になったばかりの、仕事を任されて世間の期待も大きくなり見る目も厳しくなる頃でした。そして結婚して家庭でも地域でも責任を負うようになる年頃(江戸時代の初婚年齢は、男性25~28歳、女性18~24歳)。
42歳は、武家の出世レースも仕上げの時期で、そろそろ跡目相続についても考え始める時期、町人は長年お世話になったお店から暖簾分けしてもらって自前の店を構える頃合いでした。また、村落内の神社経営や祭事執行に関わることが許され、もしくは村落の重役になる地方も多くありました。
なので、この時代の25歳、42歳は人生において大変重要な年齢だったそうです。そして61歳は一切の役目から退く年と言われています。

女性19歳は、結婚して一家を構え一人前の大人とみなされる年頃でした。さらに出産しても亡くなる危険もありました。33歳の頃になると嫁入り後から続いていた実家からの贈答品が打ち切られ、姑から一家を切り盛りする主婦の座を譲り受ける時期でした。
このような事から厄年ではなく、社会的にちょうど環境が変わる時期の「役年」とも考えられています。

身体的な節目では、男性42歳は働き盛りで体力的に無理をしやすい時期、女性33歳も出産、子育てと苦労が多く体調を崩しやすい時期で、健康を害しやすい年齢と言われています。
ちなみに、ある研究(スタンフォード大学の研究グループ)によると、老化に伴ってたんぱく質の割合が大きく変化するのが平均して34歳・60歳・78歳だそうで、人間の老化はその3つの年齢を境にして加速していくとか。

その後、明治時代になると神仏判然令(神仏分離/神道と仏教を明確に区別すること)が発布されたことで、それぞれの宗教的な立場の棲み分けが必要となり、死穢(しえ/死のけがれ)を担当していた寺院は「厄除け」を、産穢(さんえ/生まれた子の父母が受けるというけがれ)を担当することになった神社は身に纏ってしまった厄を祓い清めるという「厄祓い」が行われるようになりました。

厄除御守

ということで、厄年とは病気や事故などの災いにあいやすいとされる年齢。この年に当たる人は、宗教関係者あるいは宗教関係者を装う怪しげな人々に、不明朗な報酬を支払って災いを防ぐ手段を講じなければならない(気になる人だけ)とされています。
厄年は男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳(37歳・61歳などもあり一定しない)で、男性42歳、女性33歳が最も危険な年とさますが、その根拠は42が「死に」、33が「散々」に通じるという語呂合わせにすぎないという説もあり、厄年を深刻に考えている人にとってはタチの悪い冗談と思えるかも。

また、時代により、地域により様々に変化し、数え年とか満年齢で厄年を計算するところもあり、大厄のみに前厄・後厄を設けるところもありと判然としていませんが、今も消滅しないのは、その根底に人間の生命力には起伏のあることを人々が何となく感じ取っていたからでしょう。
どちらにしても厄年はむやみに恐れる必要は無く、むしろ自分の健康状態をチェックし、ライフスタイルや食生活を見直す丁度いい機会かもしれません。

出典:日本文化いろは事典
出典:厄年/コトバンク
出典:厄除け・厄祓い・厄落としの違いとは
出典:厄年
出典:日本語を味わう辞典

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