雪を思いっきり楽しんでいた「雪見」という行事
冬の雪、秋の月、春の花、四季おりおりの風雅な眺め「雪月花(せつげつか、せつげっか)」という言葉があるように、日本には「雪見」をする文化がありました。
ということで、前回の「月見」続きの「雪見」についてのお話です。
雪見の様子を描いた代表作。美女数人をはべらせた男性が雪景色の中の料亭の二階に宴を張り、富士を眺める様子を描いています。礫川とは文京区小石川のこと。
「雪見」とは、雪景色をながめ楽しむこと、また、それを目的とする宴のことで、「観雪」「賞雪」「看雪」ともいうそうです。
雪は、月や花とともに古くから歌の題材になっていて、延暦(えんりゃく)年間(782~806年)からは初雪が降ると、群臣が参内して初雪見参(げんざん)が始まり、貞観(じょうがん)年間(859~877年)の頃からは雪見の宴を開くようになりました。
雪見の宴の記録としては「日本三代実録」に872年(貞観14年)に行われたと記されていて、その後、絶えることなく続けられていたようです。
赤と緑が雪に映えて美しい浅草寺雷門から山門と五重塔を望んだもので、広重の代表作です。
隅田川に浮かぶ屋根舟の中のこたつで、酒を楽しむ女性、雪見船、雪見酒の光景です。
炬燵(こたつ)や行火(あんか)を置いた屋根船に乗り隅田川を下りながら酒を楽しむ「雪見船」も冬の粋な遊びとして人気がありました。
江戸時代になると雪見も庶民化し、1827年(文政10年)に刊行された「江戸名所花暦」冬の部によると愛宕山・高輪・長命寺・牛御前王子権現の社・三囲(みめぐり)稲荷社・待乳(まつち)山・市ヶ谷八幡宮・忍が岡・東叡山寛永寺、1838年(天保9年)の「東都歳事記」では、上記のほか、隅田川堤・真崎(まつさき)・不忍池・湯嶋台・神田社池・御茶の水土手・日暮里諏訪社辺・道灌山・飛鳥山・目白不動境内・牛天神社地・赤坂溜池などが江戸っ子たちの雪見の名所であったという。江戸の町には、雪見の名所が20か所以上あったといいます。
なお、京では小野の里(京都市左京区高野から八瀬(やせ)・大原にかけた一帯の古称)の雪見が有名だとか。
江戸時代の雪だるまといえば、達磨大師の形をしたものがメジャーでした。側にお供えものがあるので縁起物だった様子。
橋の通りはやっぱりツルツルだったようです。滑った拍子に下駄が飛んで人の顔を直撃する漫画風の絵になっています。
雪見を楽しむための屋敷の工夫もされてきました。大きくせり出した庇(ひさし)は、雪の庭を眺めるために、雪見障子(障子の下半分が持ち上げられるように作りガラスをはめ込んだものなど)は、部屋にいながらにして雪景色を楽しめる日本独特の建具などです。
雪の美称で美しい響きを感じさせる“瑞花(ずいか/豊年の兆しとなるめでたい花)”という言葉があるように大雪は豊作の前兆といわれ、積雪地帯では雪害に苦しみましたが、一般には喜ばれたそうです。豊かな雪解け水が、田畑を潤して豊作をもたらすからです。
ちなみに、江戸時代は18世紀半ばから19世紀の半ばまで、小氷期とよばれる寒冷の気象で、1773年(安永2年)、1774年(安永3年)、1812年(文化9年)の冬には、隅田川が氷結したと記録にあります。
雪だるまならぬ“犬だるま”を作る2人の女の子、楽しそうです。
大きな雪玉を作る子どもたち。裸足の子や雪を食べてる子もいます。
ちなみに、雪を丸めて大きくするこの遊びは“雪まろげ・雪転がし”と呼んだそうで、現代の雪だるまにつながるとか(諸説あり)。
雪のちらつく中を番傘を差して歩く姿を描いたもの。町民はもとより武士の間でもブームとなった雪華文様の着物を着ています。
その雪の美しさに魅せられた“雪のお殿様”が江戸時代にいました。現在の茨城県にあった古河藩の第4代藩主・土井利位(どいとしつら/1789~1848年)です。
土井利位はオランダから輸入された顕微鏡を使用して雪の結晶を観察、20年にわたり研究を積み、雪の結晶を“雪華(せっか)”と命名、1832年(天保3年)にはその観察結果を「雪華図説」にまとめ出版しました。14カ条の雪の効能と86種の雪の雪華図が掲載された本書は、続編97種とともに、日本最初の雪の自然科学書として非常に高い評価を受けたそうです。
この「雪華図説」は国立国会図書館からご覧いただけます。
蛇足ですが、顕微鏡が日本に持ち込まれた正確な年代は定かではありませんが、1765年(明和2年)、オランダの風俗・地理・産物・技術などを紹介した「紅毛談(おらんだばなし)」の中に顕微鏡のことが記されており、実物の顕微鏡もまた、この辺りの時期に入ってきたらしく思われます。
空から降る雪がかくも様々に美しい形をしていることを、江戸の多くの人々が初めて知り、花のように美しい“雪華文様”は江戸庶民の間で大流行しました。
結晶を花に見立てた優美な模様が着物や服飾小物、はては茶碗のデザインなどにも使われました(家紋のデザインにも採用されたかもしれません)。浮世絵の美人画には雪華文様の着物をまとった女性が描かれており、当時の流行の様子を今に伝えています。
なお、この「雪華文様」、利位の官職“大炊頭(おおいのかみ)”に由来して、別名を「大炊(おおい)文様」ともいうそうです。
これは七宝焼で作られた刀の“鍔(つば)”です。雪華文様は武士の間でもブームとなったのだそうです。平和な時代が続くと武士の刀にも実用性より装飾性が重視されてきて、金工職人たちは競い合って鑑賞に堪えられる見事な名品を生み出しました。
「雪華文七宝鐔」平田春寛 作(1828年/文政11年)出典:東京国立博物館
その完璧な幾何学的な造形は、まさに天からの贈りもの、自然の美しさに魅せられるのは、昔から不変のようです。
奥女中たちが猫の雪像を作っています。裸足になって猫だるまをつくる女性たちが楽しそうです。猫大好き絵師として有名な国芳らしい作品です。
雪が積もった庭で、6人の男女が雪遊びをしています。作っているのは平筆で紅の絵の具の絵付けをしている雪だるまならぬ“巨大なカエル”。右奥に見える石灯籠は“雪見灯籠”というものです。
古くからあった雪見、花見と宴会が切っても切り離せないのと同じく雪見の宴会なんてのもあり、ひとつとして同じものはない雪の結晶を雪華文様として生み出したりと、日本人の雪への愛着の深さが感じられます。
江戸時代に詠まれた川柳の一つ“雪見とは あまり利口の 沙汰でなし”と、雪見に出かけるというのは、酔狂極まりない話かもしれませんが、自分も雪が降ると敢えて外に出てしまうひとで、炬燵をつんだ屋根舟で雪見船に揺られ雪見酒を頂く体験をしてみたいですね。
“瑞花”、今季の冬に降ったら、ゆっくりと雪見を楽しみたいと思いました。しかし、現代の東京だと数センチ雪が積もっただけで大騒ぎで、家の周りの雪かきでそれどころじゃないかもしれませんが(汗。
出典:雪見/コトバンク
出典:雪見/Wikipedia
出典:雪華模様
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