直接座っても衛生的な日本の床では発達しなかった「椅子」
つい最近、ローテーブルに座椅子でパソコン作業をしていたのですが、膝を痛めてデスクと椅子の生活になってしまいました。折り畳み式文机と座椅子はコンパクトだし、疲れたらすぐ寝転ぶことができるので非常に良かったのですけどね。
そういえば、昔のおばあちゃん家を思い出すと、椅子に座ることは家の縁側や縁台などの腰掛けに限られていた感じです。ゆえに「畳」文化の日本で、椅子が一般に使われるようになったのはいつの事なのか、など調べてみることにしました。
日本での椅子の使用は正確にはわかっていないようですが、4~5世紀頃の古代の王族や豪族の墓所である古墳から出土する人物埴輪の中に、背もたれの無い椅子に腰掛けているものもあり、古くからあったようです。
形としては高さが低めの長方形に近いものだったそうで、その後、6~7世紀頃に背もたれのあるものが大陸から伝わったとされます。
これらは背もたれの部分が神社の鳥居に似た形状の「鳥居形」で肘掛がついたものでした。宮中では貴人高官が使用を許されたものが倚子(いし)と呼ばれ、奈良時代には、朝廷および一部の公的な場所で、床子(しょうじ、板に脚をつけた机のような形で敷物を敷いて使用)と共に使われていたようです。
なお、倚子の呼び名「いし」は、禅宗渡来以後(平安時代頃)唐音で「いす」というようになったとされます。
京都御所・紫宸殿(ししんでん、厳格な儀式を行なう建物)高御座(たかみくら)に置かれた倚子。天皇用のものは「御椅子(おいし)・倚子の御座(いしのおまし)」と呼ばれました。方形に脚付きで、座の左右に勾欄(こうらん)をつけ、背部に鳥居形の背もたれのある腰掛けです。
京都御所・清涼殿(せいりょうでん、天皇の居所)殿上間(てんじょうのま)にある椅子。平安時代に宮中で天皇をはじめ高官の公卿だけが使用を許されたもので、背もたれとひじ掛けのあるものとないものがあり、その形は用いる者の身分によって違いがあったようです。
しかし、椅子は朝廷や寺院で儀式用に使われただけで、平安時代初期には日常生活のなかで床の上に直接座る生活様式(平座式生活)が盛んになり、椅子式生活(椅子を使う住まい方)は次第に廃れ普及しませんでした。
その理由は、原因の一つとして気候・風土にあると考えられています。日本は湿気が多いため、住居では通気をよくする空間を取った縁の下のある半高床式の住居になり、必然的に外と家の中には段差ができ靴を脱ぐ生活になります。そして部屋には調湿・断熱効果がある畳を敷き詰められるようになり、床に直接座ったり寝転ぶのも容易になったと思われます。
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また、襖や障子などの建具でゆるやかに仕切る開放的な住まい造りも大きく影響したようです。襖で仕切った畳敷きの部屋は、お膳を並べれば食事処、見台(書見台)を出せば書斎、布団を敷けば寝室と、その時々に応じて様々に使い分けました。(ここに西洋のように椅子やテーブルといった家具を置いてしまうと部屋の用途が限定されてしまいます)
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他にも、着物は床座の方が身のさばきが良く、椅子とは相性が悪かったという原因もあるようです(椅子式生活が普及するにつれて、着物もまた本来の実用性を失っていきました)。
以上のような理由で椅子式生活は日本では一般化しなかったと考えられます。
鎌倉時代に禅宗とともに宋から伝わった、僧侶が法要・儀式用などで使う椅子。のちに他の宗派や一般でも使われるになり、桃山時代には大流行したそうです。背もたれが半円の曲線形で脚はX字形に交差させた折り畳み式が多く、現在でも製造販売されています。曲彔という言葉は曲彔木の略。
古墳時代からあったと思われる腰掛けで、記紀や延喜式にも「胡床(こしょう・あぐら)」の呼称でみられます。脚を左右に交差して組み、座席には革や布や縄などを張り、移動時は折り畳んで便利に作られた簡易腰掛けです。宮廷から戦場・鷹狩りまで広く用いられ、現代でも使われています。
ちなみに、関東地方の縁台を関西地方では床几と呼ぶようです。
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余談で、正座が「正しい座り方」となったのは江戸時代三代将軍徳川家光以降の時代(小笠原流礼法が元)とされ、それ以前はあぐらや片膝立ちの座り方が正式とされていました。そして正座が広まった理由は、床が板張りから畳敷になり足への負担が軽減されたためと言われています。なお、このような座り方をするのは日本人だけだとか。
煮魚・煮豆・煮染など、すぐに食べられる形に調理した惣菜と酒を提供する居酒屋の元祖「煮売り酒屋」。時代劇にあるような土間にテーブル式の机と椅子などなく、夕涼みに使うような縁台をいくつも並べ、酒や料理も折敷(方形の盆)に乗せて、腰かけている客の横へ置き(左下の縁台には酒を入れるチロリが確認できます)、客はそのまま食事をしています。道路に面した店の板壁にはメニューが書かれているようです。
江戸時代にオランダやポルトガルとの通商が始まると、長崎の公館では畳敷きに椅子が使われました。明治時代に入って文明開化を経ると、西洋の文化や生活様式が輸入され、官庁・商社の建物が洋風化し、学校と軍隊が腰掛けを採用することによって椅子は公共の場所に普及し始めました。
しかし住宅においては椅子の使用は上流階級の間だけで、一般庶民が椅子式生活をするようになったのは第二次世界大戦以降のことでした。
1950年代に寝食分離の発想でダイニングキッチンが採用された公営団地がたくさん建てられ、卓袱台がテーブルに代わり椅子は食事用として使われるようになると、その後の住宅の中に洋間が普及し、椅子は生活に取り込まれていきました。
現在では椅子は日常生活のなかで普通のものとして多くの場所で用いられています。
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ということで椅子とは、あまりに汚すぎる床に直接座らなくてもすむように開発された家具。
日本の住居は、床を土足で歩き回らず、常にきれいに保っているので直接座っても衛生的であり椅子は発達しませんでした。しかし、くやしいことに、椅子は背もたれで背中を支えることにより、姿勢の矯正に役立っているのであり、栄養が不足しているうえに、背もたれもない状態で床に座っていた昔の日本人が、高齢になると背骨が曲がってしまうことが多かったのは、椅子を使わなかったことと無関係とはいえないでしょう。また近年、子どもたちの脚が上半身に比べて長くなっているのも、椅子での生活が影響しているといわれ、日本人の伝統的な生活に土足で踏み込んできた感のある椅子ではありますが、その役割は無視できないものとなっています。
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