「地蔵」と「閻魔」はー、同一神様⁈
町かどやお寺の参道、お墓や橋のたもとなど、暮らしの風景に、ごく自然に佇んで見守っている「お地蔵さま」、自分がよく通る橋のたもとにも祀られいます。
その姿は、小坊主のような剃髪と簡素で粗末な袈裟姿で刻まれていて、道端の隅に野ざらしで立ち尽くしている素朴で小さな石像です。
優しい印象のお地蔵さまは、路傍の石仏としても里山のしみじみとした風景の点描として親しまれていますが、そのような風景が見られるのは実は仏教国の中でも日本だけなのだという。
お地蔵さまは、正式には地蔵菩薩といい八大菩薩の一つです。地蔵菩薩はサンスクリット語でクシティ・ガルバ(Kiti-garbha)“大地を母胎とするもの”の意で、大地のように広大な慈悲で生あるものすべてをすくうという菩薩さまとされます。
なお菩薩とは、サンスクリット語でボーディサットバ(bodhisattva)といい、漢訳では菩提薩埵(ぼだいさった)と音写され、その省略語が菩薩で“悟りを求める人”という意味があります。
仏教において完全な悟りを開き涅槃(ねはん)に到達した如来(にょらい)に次ぐ霊位の高い存在で、悟りを開くために修行に励んでいる人のことをいうそうです。特に大乗仏教では、自己の悟りを追求するばかりではなく、救いを求める一般大衆をともに悟りの世界に導くべく努力している人を菩薩と言います。
有名どころでは、観音菩薩、弥勒菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩などおりますが、彼らが如来に昇進したという話は聞いたことがありません。おそらく菩薩は、他人を助けるのに一所懸命で、なかなか自分の悟りを開く暇がない“いいやつ”なのではないかと思われます。
ただし、菩薩は如来の修行時の姿の分身であるという考え方もあり、つまり、町人にまぎれて悪事に目を光らせた町奉行遠山の金さんみたいな存在なのかも(笑。
ちなみに、涅槃とはサンスクリット語のニルヴァーナにあたり、仏教では釈迦の死を意味します。後に、真実の知に目覚める(悟り=迷いや煩悩や執着を断ち切り、いっさいの苦・束縛・輪廻から解放された境地)ことも涅槃というようになりました。しかし、日本では“死ねば仏”といわれるように、死ぬときに“釈迦の死プレイ”をして誰でも気軽に涅槃している…かも(汗。
白象に乗り慈悲をつかさどる仏が普賢菩薩、遊女を普賢菩薩に見立てています。
獅子に乗り知恵をつかさどる仏が文殊菩薩、本を読む青年を文殊菩薩に見立てています。
仏教では、釈迦(仏陀・釈迦如来)が入滅して(死んで)から56億7000万年後に、次に涅槃に至ると予言されている弥勒菩薩が現れ、悟りを開いて人々を救うと考えられています。しかしそれまでの長い間、人間は六道を輪廻しながら、苦しまなければなりません。
六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道のことで、地獄道(別名、奈落の底)はその名の通り罪を犯した人の落ちる地獄のこと、餓鬼道は我欲のままに生きてきた人が堕ち、飲食や物などに触れると火に変わるので満たされる事の無い世界、畜生道は本能や欲望のままに生きてきた者が堕ち、動物に転生され弱肉強食の常に怯えて暮らす世界(この3つが三悪道)、修羅道に行った人は休む間も無く怒っており争いが絶えない世界、人間道は楽しい事だけでなくストレスや煩悩で悩まされる日々が続く私たちが今生きているこの世界のこと。天道は天人が住む場所で苦しみはありませんが、いつか死がやってきて、六道のどこかに転生せねばならないようです。
なので、お地蔵さまは菩薩の状態にとどまり、釈迦に代わって一切衆生(いっさいしゅじょう/この世に生きているすべてのもの)を救う誓いを立て、六道の罪苦の除去に携わることを本願としました。その苦しみをわが身に引き受け歩き回るため、旅の僧侶のような簡素な姿をしているとされます。
この地蔵信仰は奈良時代にその経典が伝えられましたが、平安時代以降に地獄を恐れる風潮が強まり、民間信仰として普及していきました。村のはずれに立つ地蔵が六体あることが多いのも、お地蔵さまが六道を巡りながら人々の身代わりとなって苦しみを背負ってくれるという信仰からきています。
地獄とは、この世の刑務所で返済しきれなかった罪や、この世では見逃されていた罪を精算するためにあの世で行く刑務所(地下の牢獄のこと)。罪人の人権などというものがなく、よほどのことをしても死ぬ恐れのないあの世のことなので、地獄の官吏たち(鬼)は罪人に、思いつくあらゆる方法でやりたいほうだいの残酷な責め苦を与えており、おかげでそこはさながらサディストたちのテーマパークと化しています。なお、八大地獄の最下層にある無間地獄に落ちてしまったら、そこにたどり着くだけで2000年(真っ逆さまに自由落下速度で)、服役期間は1中劫(こう)=349京2413兆4400億年だとか。でも大丈夫、服役期間を終えればいくら悪人といえども輪廻転生しシャバ(人間界)に生まれ変わることができます。
“地獄の救い主”という発想の起源はインドで、仏教誕生(紀元前5世紀)以前にまで遡ります。この考え方が鮮明になるのは7世紀の唐の時代、最初の「地獄観」が考えられ、これが道教の十王思想に結び付きます。
十王思想とは死後7日ごとに閻魔(えんま)様をはじめとする裁判官による裁きがあり、以後四十九日まで7回にわたり行われる、というもの。さらに百ケ日と一周忌と三回忌が加わって、計10回に及ぶ裁判の裁判官を「十王」と呼びます。
平安末期以降、こうした思想が「地蔵十王経(正しい仏典ではない偽経とされます)」として日本に伝わり、これが本地垂迹(ほんちすいじゃく/神道の八百万の神々は、仏が民衆を救うために姿を変えてこの世に現れた、とするこじつけ・神仏習合の様々な偽装工作の一つ)説と結びついて、地蔵菩薩が閻魔または十王の一尊としての閻魔王と同一の存在であるという信仰が特に庶民を中心に広まったとされます。
この信仰は、死んでから浄土へ行けず地獄へ落ちたとしても閻魔王は本当は地蔵菩薩だから救済してもらえる、という日本独特の思想でした。加えて、鬼だって、やりたくて鬼をやっているわけじゃない、地獄であっても芯からの悪人はいないという考え方もあり、これも日本ならではの発想だとか。
閻魔王とは、地獄の支配者にして、死者の生前の罪をあばき罰を定める裁判官。手もとには、人間たちの生前の行状が記録された詳細なデータと、生まれたときから死ぬまでを映し出す膨大なドキュメンタリービデオ(浄玻璃の鏡で見る)まで揃い、被告人はその厳しい追及をのがれることはできません。なかでも閻魔王がこだわっているのは「虚言」の罪であり、その昔、幼い子どもたちは「ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」と脅されました。
閻魔(えんま)は古代インドの神Yama(夜摩=ヤマ)の音写。ヤマは古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』では天国の主宰でしたが、西方から入ってきた地獄の思想が盛んになってから、いつしか地獄の長官に左遷されてしまいました。その思想が仏教に取り入れられて中国に伝わると、この人たちの摩訶不思議な妄想力により様々な脚色がなされ、その影響を受けた日本でも“王”という漢字を記した冠(考えてみればかなり間抜けなコスプレかも)をかぶり、赤ら顔で力みかえっている姿を社寺の参詣客などの前にさらしています(汗。
鎌倉時代以降、一時は地蔵菩薩を拝むことすら念仏以外の雑多な行とされましたが、庶民の人気は衰えず、とげ抜き地蔵や延命地蔵など人の身代わりに苦しみを負ってくれる代受苦(だいじゅく)の地蔵菩薩など、多面的なご利益が諸所の民間伝承とともに広まっていきました。
同時に、守り神としての地蔵は、民間信仰である外来の疫病や悪霊を防ぐ路傍の道祖神とも習合され、橋や村境といった“異界”との接点に石像が数多く祀られて、路傍の地蔵尊は様々な祈念の対象になり、今日では何々地蔵とよばれる名称が100以上にもあるそうです。
地蔵の縁日としては旧暦7月24日、近畿地方を中心とする地域で盛んに行われますが、発祥は京都だといわれています。寺院に祀られている地蔵ではなく、道祖神信仰と結びついた“路傍や街角のお地蔵さん”いわゆる「辻地蔵」が対象となっています。京の旧街道の入口六ヵ所にあるお地蔵さまを巡る風習も、こうした結界を巡ることと同義なのかもしれません。
異界、それは日常の隣にいつも口を開けて存在するもの、けれども同時に、異界にも確かに救いはある、あの世とこの世の境に立ち両者を隔てると同時にどちらをも見守るから人々は地蔵菩薩を求め、また敬ってきたのでしょう。
そして、これらの神様は、信者に対してうるさいことは言わず、ただただ願いを聞き入れるだけの度量の広さを持ち、多くの人々に愛されています。ただし、願いをかなえるかどうかまで責任を持たないので、いわば精神科のカウンセラーみたいなもの、といえそうです。
-
前の記事
悪霊も一緒になって襲来する恐怖の期間「お盆」 2021.07.05
-
次の記事
「鬼門」は迷信のひとつ、単なるこけおどし⁈ 2021.07.15