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昔よくあった「荒物屋・万屋」と、今はもうない「小間物屋」

昔よくあった「荒物屋・万屋」と、今はもうない「小間物屋」

この一枚の写真を見つけた時、そういえば、田舎でこんな色々なモノを売っている店があったことを思い出しました。
自分としては、当時はなぜか全て小間物屋と言っていましたが、たぶん荒物屋か万屋(よろずや)らしい…。ということで、現在はあまり見当たらない、これらのお店を調べてみることにしました。

荒物屋
荒物屋(明治中期)出典:着色写真に見る明治中期の情景

上記に近いお店といえば荒物屋でしょうか。
荒物屋は、江戸初期には現れ、最初は旅の荷造りの薦(こも)・渋紙・縄・細引や、木履(ぽっくり/木製の靴)などを売っていましたが、その後、笊(ざる)や桶(おけ)といった台所用具、草鞋(わらじ)、箒(ほうき)、塵(ちり)取り、浅草紙(古紙・ぼろきれなどを材料にして漉(す)き返した下等の紙)、下蝋燭(ろうそく)などに代わっていったようです。
つまり、荒物屋は今でいう日用雑貨店にあたるもので、小間物(こまもの)に対して粗雑な道具類を扱っていたので言われたとか。

万屋
万屋(明治中期)出典:着色写真に見る明治中期の情景

次に万屋、「万(よろず)」とは“あらゆるもの”という意味があり、雑貨・荒物など生活に必要ないろいろな品物を売っている店のこと、つまり、コンビニが24時間営業しない店といえそうです。
小都市では日用雑貨のみ取扱う幅の狭い万屋の例が多かったようですが、地方など専門店が揃いにくいところでは、例えば酒屋や駄菓子屋が食料品や日用雑貨などの生活必需品を取り扱うなど、その地域の生活の要として重宝されていました。今ではコンビニに取って代わられているところも多く、地方の過疎化によって経営が成り立っていないところもあります。

似ているといったら、様々な商品をごちゃごちゃ置いてあるドン・キホーテも近そうです。あのごちゃごちゃ感はマーケティング戦略で商品を探させてついで買いさせるのが目的らしいけど、何が出てくるかわからないお宝探し高揚感や懐かしさを感じさせるのも戦略のような気がします。

ちなみに、アニメ「銀魂」で主人公の銀時が経営する便利屋の万事屋(よろずや)がでてきますが、これは造語で、稼業は江戸・明治時代の職業周旋業者「口入れ屋(くちいれや)」に近いようです。

小間物屋
小間物屋(明治中期)出典:着色写真に見る明治中期の情景

最後に小間物屋ですが、小間物とは細物(こまもの)あるいは高麗(こま)物(舶来品)が語源だとされます。
17世紀前半には京都では京極通り、大坂では堺筋に小間物屋があったようです。その頃の小間物は櫛(くし)・笄(こうがい)・簪(かんざし)などの髪飾りや白粉・紅などの化粧品をはじめ、楊枝・歯みがき・紙入・煙草入れ・根付・塗物の容器や箱物・眼鏡・刃物等などのこまごまとした日用品を商っていました。

それらの品物は小間物問屋に集荷され、荷に背負って売り歩く行商を主とする小商いや、江戸の中心地に店を構える大手まであり多様でした。
時代劇などにも盛んに登場していて、公事(裁判)に巻きこまれたり、盗賊に押し入られたり、旅先で山賊に身ぐるみはがされたりとひどいめにあってばかりかと思えば、逆に、武家屋敷に商いに行ってそこの奥方と密通したり、忍者が小間物屋に化けて諸国を探りに歩いたりと裏稼業でも活躍をしてます(『鬼平犯科帳』の、小間物の行商を隠れ蓑に火付盗賊改の密偵として動いていた“おまさ”とか)。

「櫛売り」奥村利信 画
「櫛売り」奥村利信 画(1717-50年頃)出典:東京国立博物館
「紅売り おまん」奥村利信 画
「紅売り おまん」奥村利信 画(1735年頃)出典:アメリカ議会図書館
「呉服売り」奥村利信 画
「呉服売り」奥村利信 画(1728年頃)出典:東京国立博物館

荷を担って町中を売り歩く小間物屋さんを「背負い(しょい)小間物」と呼んだそうです。一人で5~70軒程のお得意さんを持ち、そのお得意さんを定期的に回って商いをしていました。客は女性に多く、女性の小間物売りも多かったといわれます。時に性具(潤滑剤や張形)なども商っていたとか。

江戸時代の小間物屋
江戸時代の小間物屋。出典:やまだくんのせかい

大正初期頃までの小間物は、引出付きの箪笥やガラスの蓋をした箱、桐箱に納められており、客からの注文に応じて随時取り出すようにしていました。当時は、櫛や簪類も本物の鼈甲(べっこう)を使っており、虫がつきやすいので売れるまで樟脳を入れるなど気を使うことが多かったようです。大正中頃になって、店先にショーウィンドウを設置し、客が自由に見て選んで買えるようになりました。

初商出世双六
「初商出世双六」小三馬 作・歌川国輝 画(1854年)出典:東京都立図書館

戯作者・式亭三馬が日本橋に化粧品を扱う小間物屋を開き、跡を継いだ息子の小三馬が宣伝をかねた商品一覧を双六化したもの。白粉や紅・お歯黒・刷毛などの化粧品や薬まで見られます。なかでも最も売れた商品が化粧水「江戸の水」で、大いに繁盛したとか。なお、庶民の女性まで化粧をするようになったのは、世界的にみても江戸の女性が最初だったとも言われています。化粧の詳しい記事はこちら

小間物の行商は昭和の半ばあたりまで生き残っていたようですが、特に後期では、“刑務所から出所したばかり”だという恐ろしい顔の商人が、“歯ブラシ買ってくれ”と訪問販売に来る、いわゆる「押し売り」がよく知られています(映画の見過ぎ⁈ これを小間物屋と言うかどうかは問題ですが…汗)。
まじめに…、次第に化粧品・服飾品などの種類が増し需要も増加するのに伴い、小間物屋の多くは洋品店・化粧品店などの専門店に分化したため、この頃までに小売店をはじめ、行商の小間物売りは姿を消していったようです。

荒物屋・万屋
江戸時代から続いている荒物屋・万屋。出典:フォト蔵

ということで、小さい頃に田舎で見たのは万屋みたいな店だったような気がします。駄菓子屋も兼ねていたしね。もしかしたら町の外れだったので、町への出入りに設けられた木戸番(治安を守る番人)が元かもしれません。
各町内の木戸には番小屋があって、そこには番太郎と呼ばれる番人が詰めており、木戸番の傍ら雑貨・駄菓子なども商っていました。江戸時代の人は買物は町内でという考えが強く、日ごろ世話になっているということもあって、細かい日用品などは手近な番太郎のところで買うことが多かったそうですから、番小屋は現在のコンビニのような場所だったともいえます。駄菓子の詳しい記事はこちら
今となってはわかりませんが、お店一つにそんなことを思い馳せるのも楽しかったりしますね。

蛇足ですが、自分は外で小間物屋を開いたことはありませんが…、「小間物屋を開く」とは、小間物屋がこまごました商品を店頭に並べたり、行商先で広げた風呂敷の上に展示するありさまから、嘔吐することを言います。特に、飲み会などで過度に飲み食いして路上でゲロし、食べたものが消化しきれずに原型のまま泥状の液に混じって出てくるありさまを表現するのにふさわしいかも(と、それほど細かく説明するのもヤな感じですが…失礼しました)、しかし今では「小間物屋」などと言ったって、誰も知らないので残念な死語となっています。
自分はまだキレイな言葉なので使ったりしますが、確かに説明をいちいちしなくてはならず、説明される具合が悪い人も手短にと言うし、面倒かも(汗。

出典:小間物屋
出典:荒物屋
出典:万屋
出典:よろずや
出典:日本語を味わう辞典

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