最高の贅沢はご飯に梅干の「日の丸弁当」⁈
弁当箱を開ければ白いご飯の真ん中には梅干がぽつん、お弁当の原点はここにあるかもしれない、日の丸弁当。
日の丸弁当とは、一つの弁当箱に炊いた米をたっぷり詰め、中央に梅干しを一つだけのせた弁当のこと。日本国旗である日の丸に見えるためそう呼ばれています。
日露戦争(1904(明治37年)-1905年9月5日)の時に兵隊の兵糧として用いられたのが始まりで、陸軍大将となった乃木希典(1849-1912年)が好んで食べていたことから、人気に火がついたとされます。
第二次世界大戦の戦時中(1939年(昭和14年)~)には愛国弁当としても意味づけられ、愛国心を煽るためにあえて「日の丸弁当」と呼び、陸軍省では毎月7日を「日の丸デー」と定め、7銭の日の丸弁当を売って軍隊や軍人に対する献金・寄付の費用として捻出したようです。
特に奨励されたのは小学校・中学校で、親が育ち盛りの子どものために飯の中に密かにおかずを隠すことも多かったそうです。
しかし、日の丸弁当の登場により梅干しの需要が伸び、さらに当時の日本軍の弁当に用いられて好評を得、南部梅(日本最大級の梅林として有名な和歌山県日高郡)の基礎となりました。
戦後では、日の丸弁当は戦時中の代表的な食べ物の一つとも考えられ、戦後生まれの人々に戦中の苦難を教えるための題材としても用いられました。
ちなみに、当時の弁当箱はアルミニウム製で酸化しやすく、梅干しのクエン酸で溶けて穴が開くことが多かったようです。後にアルマイト加工を施した弁当箱により穴を防ぐことが可能となりましたが、戦後間もない頃は粗悪なアルマイト製が多く、やはり穴が開く弁当箱があったそうでうです。
という感じで、「日の丸弁当」というのは、戦中の弁当とか貧乏の象徴だったとか思われがちですが、栄養学の観点から見ると、優れている食事だそうです。
『梅干と日本刀(樋口清之 著、祥伝社新書)』に、“大量の白米とひと粒の梅干だが、これが胃の中に入ると、この梅干ひと粒が、九九パーセントの米の酸性を中和し、米のカロリーはほとんどが吸収される役割を果たす”、つまり、太ってしまうのではと心配になりますが、食べてすぐにエネルギーに変わる理想的な食事との評価があります。
梅干しの酸味成分は、ウメの実に豊富に含まれているクエン酸によるものですが、食べ物のカロリーがエネルギーとして消費される際にクエン酸が必須らしく、米が無駄なくエネルギーとして消費されるとの分析もあります。
この他、梅干しがホルマリンの200倍といわれる殺菌効果や解毒効果を持つことから、ご飯の腐敗や食中毒の防止にも繋がる合理的な食事だともいい、疲労回復の効果を持つことからも労働食にふさわしいともいわれています。
梅は“Japanese Apricot”と呼ばれていますが、紀元前に大陸から水田耕作の技術をもつ人々が日本に渡ってきたとき、稲とともに梅も入ってきたと考えられています。
記録によれば、平安中期の村上天皇(在位946~967年)の病気が梅干しと昆布の茶で回復したという事が記されていて、おそらく、それ以前から梅干しは作られていたと考えられます。「梅干」という言葉が書物で見られるようになるのは鎌倉時代あたりからで、梅干しが一般庶民に食用として食べられるようになったのは江戸時代、それまでは薬(薬膳)として非常に貴重だったようです。
その後、しその葉で着色した「赤い梅干」が元禄年間(1688-1704年)頃に発明され(それまでの梅干といえば白っぽいものでした)、梅の産地が誕生したりして、梅干は日本独自の食べものになっていきました。
なので、梅干が“日本的”な印象を与え、ご飯の真ん中に梅干は日本の国旗を連想され「日の丸弁当」という名称になったのは必然だったのかもしれません。
なお、日の丸の起源は1000年以上も前のことですが、1894年(明治27年)1月27日、太政官布告の商船規則によって「日の丸」が国旗として制定されました。
今では日の丸弁当を常食とする人は見かけなくなりましたが、小さい頃、大工職人さんだったじいちゃんが、アルマイト製弁当箱(俗にドカベン)に日の丸弁当とおかず少しを乗せ、新聞紙で包んで持っていくのをよく見かけました。
なぜ弁当を新聞紙で包んだのか定かでありませんが、お弁当の汁漏れ対策や、保温性を高める、などの理由で風呂敷などの代わりに包んでいたというのがあったようです。家にたくさんあり、汚れてもいいように包んだ新聞紙は、経済的で理にかなっていたのかもしれません。
この新聞紙に包んだお弁当が、なんだかすごく美味しそうだったのを思い出します。
加えて、昔はお米そのものが美味しかったように感じます(おばあちゃんちが農家だったもので)。当時は今のように農薬まき散らしではなく自然農法、だから“おかず”はいらないくらいにご飯だけでも美味しく、梅干し一個だけでも十分だったのかもしれません。
人の体を気遣うときに使う“お体の塩梅(あんばい)はどうですか”や、調味料のルーツとも言える塩と梅酢の「塩梅(えんばい)」という言葉など、「日の丸弁当」の真ん中にポツンと梅干、ご飯食文化のなかで梅干の果たしてきた役割の大きさを感じます。
また、“梅はその日の難逃れ”、“梅干しを食べると難が去る”と言い伝えられていますが、昔の人は旅先での薬として梅干しを持ち歩いて、古くから病気の予防に良いとされていました。
飽食の時代に、美味しいご飯と梅干だけの組み合わせの「日の丸弁当」、日本人として大事にしたいなと感じました。
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