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水を使わないという「トイレ」が出現しそうです

水を使わないという「トイレ」が出現しそうです

毎日使うトイレ、人が1日にトイレへ行く排尿回数は5~7回くらいと言われています。なので住宅の中では必需品であり、ましてや日本中どこへ行っても困ることは無く、そして日本のトイレは清潔で快適です。
ということで、日本家屋が好きな自分としては、いつから座ってお尻を洗うようになったのかなど、トイレの事も調べなくてはと思い探ってみることにしました。

昭和な和式トイレ
昭和な和式トイレ

便器に水が流れるものは水洗式便所、流れないものは落下式便所でボットン便所とも言われ、一般家庭では木製の蓋が付いていました。利点は、便座への接触がないため清潔、直腸からの便の排出がしやすいので使用時間が短くなる(長くしゃがんでいると足が痺れ動けなくなる、という欠点もある)などがあげられます。

現在はトイレ・お手洗い・化粧室などと呼ばれる排泄をする場所、古くは樋殿(ひどの)・厠(川屋・側屋とも書く)・雪隠(せっちん)・東司(とうす)・西浄(せいちん・さいじょう)・後架(こうか)・手水場(ちょうずば)・ご不浄・憚(はばかり)などと呼ばれていました。

使い始めた時期は不明なようですが、約5500年前の縄文時代の貝塚から川に板を張り出した設備が発見されており、桟橋から水に流していたとみられています。
弥生時代には下水道のような構造の遺跡が見られることから、この時代にはトイレ施設を設けていたと考えられています。この水流式トイレは厠(かわや)の語源にもなりました。

平安時代になると、貴族はおまる式の樋箱(ひばこ)を使うようになります(便器のことをさす樋箱を扱う場所が樋殿)。これは下部が引き出しになっており、健康を管理する者が確認できるようになっていました。この樋箱は貴族や上流階級の間で江戸時代まで長く使われたようです。

平安時代の樋箱(ひばこ)
平安時代の樋箱(ひばこ)。出典:トイレ博物館

左が御小用箱。樋箱と呼ばれる貴人たちが使用した引出のついた「おまる」のようなポータブルトイレです。鳥居のような部分は金隠し(衣かけが変化した語)と呼ばれ、着物の裾を引っ掛けておくためのものです。ちなみに「おまる」の語源は、排泄するという意味の「放る(まる)」からと言われています。

江戸時代の御用場樋箱
江戸時代の御用場(=トイレ)樋箱。出典:Flickr

畳敷き小部屋の中央に仕込んだ四角い穴に樋箱を差し込んで、中には灰や砂(あるいは鳥の羽毛)を入れた貴人たちが使用したトイレです。なお、浅草紙(再生紙)と呼ばれる落とし紙(=トイレットペーパー)が登場し都市部で使われるようになったのは、安価な紙が普及した元禄年間(1688-1704)頃だと思われます。

庶民は、鎌倉戦国時代になると京都などの都市部で各家庭に厠が付き始め、排泄物を肥料として利用する汲み取り式トイレが登場、江戸時代には肥料への使用が盛んになっていきました。

「江戸通過道化尽 廿八 嬬恋こみ坂の景」歌川広景 画
「江戸通過道化尽 廿八 嬬恋こみ坂の景」歌川広景 画(1859年)出典:ボストン美術館

壁に相合傘などの落書きが見える共同トイレのような厠で用を足す武士、外では3人の家来がめちゃくちゃ臭そうな顔で鼻をつまんでいる絵です。江戸時代はトイレのことを「厠(かわや)」と呼んでいました。「かわや」は数あるトイレの別名の中でも奈良時代から見られる古い語で『古事記』には、水の流れる溝の上に建物を設けたことから川屋(側屋とも)と書き、その名が生まれたと云われています。

「深川江戸資料館」江戸の下町を再現した長屋の共同トイレ
「深川江戸資料館」江戸の下町を再現した長屋の共同トイレ。出典:Wikipedia

日本の共同トイレ(公衆便所)は桃山時代には存在し、上方で多く普及していたようです。長屋の男女兼用共同トイレは江戸では惣後架(そうこうか)、京・大阪では惣雪隠(そうせっちん)と呼ばれ、町かどにある共同トイレを辻便所といいました。京・大坂では、上まで間口いっぱいに扉があるのに対して、江戸では下半分しか扉がなく、しゃがんでも頭が見えることで使用中がわかるようになっていました。

「東海道中膝栗毛 滑稽臍栗毛」十返舎一九 画(1800年頃)出典:LIXIL

江戸時代、二毛作が普及すると人間の排泄物を貴重な肥料として集めて売る下肥買い(しもごえがい)という職業が登場しました。その値段は、貧乏長屋のものより食生活が豊かな大名や大商人の方が高かったそうです。なお、長屋では所有権が大家にあり、大きな収入源になったとか。

汲み取り式便所(江戸~明治・大正時代)
汲み取り式便所(江戸~明治・大正時代)。出典:画像

排泄物は便器の下に設けた便槽に溜められ、農作物の肥料に利用されました。また、農家では屋外便所や軒先便所が一般的で、野良仕事から帰ってきて汚れた服のまますぐに用が足せるようになっていました。武家や商家などは家屋内に内後架(うちこうか=トイレ)を設けていました。

このように、排泄物を肥料として野菜を作り、また豚の餌としても食べさせ、それらを人間が食べるという機能的なリサイクルシステムになっていました。加えて、公衆便所や辻便所があったことから、18世紀になっても“おまる”の中身を家の窓から往来に投げ捨てる人が多かったヨーロッパから来日した人々が、“日本の都市は世界的にみても最も清潔だ”と感嘆している記録が少なくありませんでした。
ただし、このようなことから河川が汚染される程度は低く必要性に迫られていることがなかったので、欧米諸国と比べると下水道の整備は遅れたようです。

蛇足ですが、以前、あるニュース記事で、アメリカの○○サント社(現・バイ ○○ )の農薬が輸入されてから、1980年生まれ以降に何らかしらのアレルギーになった人が急激に増えたとあり驚愕したことがありました(確か8割強)。現在、世界の49か国で使用禁止にしているそうですが、日本では残留農薬基準を400倍にまで引き上げ、まだ使われているようです。(出典:第26回がんコンベンション)

そして、江戸末期頃に陶器製の便器がつくられるようになり、明治半ばの1900年頃になると白い陶磁器に青色で絵付けされた染付便器が旅館・料亭や富裕層に流行しました。
なお、この頃、着物から洋服を着るようになると衣かけは必要なくなり、半円状にして前方へ移動することで陰部を隠し、飛び散りを防止する役割に変わっていき、金隠しという呼び名に変わったと思われます。
こうして昭和中期にはそのほとんどが陶器製の便器に変わりましたが、木製の便器は昭和の終わりごろまで田舎で見ることができました。

染付和式便器
向高(むこうだか)と呼ばれる桶型の小便器と染付和式便器(明治村にて)

大正期頃から浄化装置が工夫され水洗便所(ウォーター・クロゼットwater closet略してW.C.)が使われ始めますが、本格的に浄化槽付き水洗便所が普及し始めるのは戦後のことでした。
1914年(大正3年)、国産の腰かけて用を足す腰掛式水洗便器が東洋陶器(現・TOTO)から初めて登場します。ですがこの頃はまだ下水道がほとんど普及していなかったため多くは汲み取り式で、帝国議会議事堂や高級ホテルや富裕層の洋館など、そして大正末期から昭和にかけて建てられた近代的な同潤会アパートなどに設置されていた程度でした。

ホテル雅叙園東京の和風洗出し大便器
ホテル雅叙園東京(旧・目黒雅叙園)の和風洗出し大便器(和式トイレ)

旧館の百段階段にあるこの和式トイレは、今から80年以上前に造られたもので、4畳半(約7.4㎡)の広さにポツンと便器が設置されています。裾が長い花嫁衣装を持ち上げるお付きの人と一緒に利用していたのではないかと言われています。

日本では古くから、しゃがんで用を足す和式が主流でしたが、公団住宅(現・UR都市機構)が1958年(昭和33年)に大阪の団地300戸に初めて腰掛式の洋風便器を設置して以来急速に普及し、この影響は一般住宅にも及にもおよびました。
高度成長期の昭和40年代は、和式・洋式にかかわらず水洗便所は高い文化水準を表す理想のトイレと考えられていて、その普及とともに便所は住まいの“不浄”の場・世に“はばかる”場から、居間や寝室と同じに重要と捉えるように変わっていきました。
そして、生活スタイルも椅子に腰掛けるというイスの文化へ変化し、それまで和洋半々だった便器の出荷台数が逆転したのは1977年(昭和52年)、以後、和式トイレは減り続け現在は1%を切っています(まだ需要があるから無くならないとか。出典:TOTO)。

水洗腰掛便器

独自の発展を遂げ世界屈指のクオリティーになっている日本の水洗腰掛便器ですが、下水道・下水処理施設の増設問題や水資源の浪費などの点で指摘されていて、これに代わるものとして注目を集めているのが、排泄物の水分を乾燥装置で取り去り処理槽内のバクテリアなどの微生物で分解させるというドライ・クロゼット(D.C.)方式だそうです。なので、水を使わないというトイレが出現するのは、そう遠くないかもしれません。

ちなみに、雪隠(せっちん)の語源は、禅寺で西側に設けられた便所を意味する西浄(せいちん)から(東側に設けられたときには東司[とうす])、あるいは雪竇(せっとう)という禅師が便所の掃除を担当していたという意味の「雪隠(せついん)」からきているなど諸説あります。漢字の“雪に隠れる”という表記は風流なせいか茶室の便所もこの言い方を採用しているほどですが、昔ながらの肥だめがほんとうに雪に隠れていたら危なくて近くをおちおち歩けません(笑。(肥だめは、昔農家だったおばあちゃん家にあった)
また、便所も大小便をする所という“その部屋”を言い表すのになんの遠慮もつつましさもない言い方。あまりにリアルで臭ってきそうなので、現代ではトイレ・お手洗い・洗面所・化粧室といった名称が用いられたと考えられます。いずれも外来語、あるいは外国語を訳した言葉、ですがbathroom(浴室+トイレ)だけは肥だめで入浴しているみたいで日本人には拒否されたと思われます。

出典:便所
出典:日本の便所
出典:世界に誇る日本のトイレいま・むかし
出典:日本語を味わう辞典

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