すでに室町時代に「商標」マークの使用差止訴訟があった⁈
「商標」とは、会社名や商品名・ロゴ、または役務(サービス)などを、他人のものと識別するために使う標識で、商品に表示する標識を「トレードマーク(TM)」、役務に表示する標識を「サービスマーク(SM)」といいます。登録商標マークは(R)や®になります。また、特徴ある立体的形状に対して認められる立体商標もあります。
日本の商標法の始まりは1884年(明治17年)の「商標条例」ですが、商標の起源は鎌倉時代前後まで遡ります。商店の軒先で日よけ代わりに使用されていた暖簾に屋号や家紋が染め抜かれたもの、文字や絵を記した竹や木の札の看板、それを商品の目印や広告代わりとしていたのが商標の始まりとされています。
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ちなみに、1884年以降で商標権が継続維持されているの最古のものは、百萬石酒造株式会社の1902年(明治35年)7月16日登録の「寿海」という日本酒と思われます。全体的に古い登録商標には日本酒のものが多いようです。そして、立体商標の第1号は、1998年に認められた不二家の「ペコちゃん人形」になります。
しかし、この条例が制定される以前に商標の権利を主張する訴訟がありました。
1426年(室町中期)、京都で営業を公認された酒屋347軒の内、最も有名な酒が柳屋の「柳の酒」だったそうです。樽に六星紋を付けていましたが普通の酒の約2倍で売れたので、偽造品が出回るようになり、柳屋の当主が室町幕府に対し、他の酒屋の六星紋の使用差止請求を出します。その結果、1478年に六星紋の商標の柳屋の独占使用権が公認され保護されたようです。つまりこの六星紋が日本で最初の商標かもしれません。(『日本商人の源流』佐々木銀弥 著、教育社)なお、現在柳屋は存在していません。
以後、色々な銘柄が登場しますが、酒造家は銘柄の名にかけて良い酒造りに精進し(商標の品質保持)酒造技術を発展させ、酒質を著しく向上させていったようです。
ということで、今でも続く老舗ブランドの商標をちょっと調べてみました。
商品パッケージに貼られた商標シールだと思われます。
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宝暦年間(1751-1764年)に江戸・京橋鈴木町に開いた「大坂屋(菓子屋)」が起源。諸大名に納品しているうちに松平定信の気に入るところとなり「凮月堂」の屋号を授けられました。「風」の異体字「凮」としたのは「風」の中には「虫」があり菓子に虫がついては困るからとの理由からだとか。
1814年(文化11年)酒造りを営んでいた堀切紋次郎がきれいに澄んだ白みりんの醸造に成功、評判となり宮中に献上した時に「関東の 誉れはこれぞ一力で 上なきみりん 醸すさがみや」と歌をよみます。ここから「一力」を「万」の字に代え、「上なき」の「上」をとって「万上」としたそうです。
1675年(延宝3年)創業の「酒悦」、伊勢山田(三重県)より店を江戸上野池之端に移した時に輪王寺一門を総領する白川宮が珍味類(海産物)など大変高く評価し「酒悦」と名づけてくれたそうです。有名な福神漬けは明治10年(1877年)頃発明されました。商標の袋マークは商売繁盛を願う砂金袋だとか。
1645年(正保2年)初代・濱口儀兵衛が紀州から銚子(千葉県)に移り廣屋儀兵衛商店として創業。「山笠にキ」の暖簾を考えるが紀州徳川家の船印と同じだったため、キを横向きにした所、サと読めることからヤマサになったようです。商標右上にある「上」は1864年(元治元年)幕府より品質に優れた最上醤油として認めらた証し。
「キッコーマン醤油」に関しての記事はこちら→キッコーマン醤油の始まり。なお、味噌は醤油よりずっと歴史が古いのですが、自宅で自分たちで作るものだったので現代のようなスタイルで味噌を売り出したのは歴史が浅いのだとか。江戸時代には味噌屋がありましたが、醤油屋のような商標としての定着はなかったようです。
発祥は木下おこし米という名で延宝年間(1673-1681年)にまで遡るそうです。東京名物の土産物「雷おこし」の名は浅草寺の雷門が由来、「家を起こす」「名を起こす」をかけた縁起物として、そして「雷よけのおまじない」などの謳い文句で江戸時代後期に売られたようです。江戸時代後期創業の常盤堂雷おこし本舗が有名。
京都名物の土産物「八ツ橋」の起源は、箏曲(琴の音楽)の開祖と云われている八橋検校を偲び、箏の形を模した干菓子を名付けたとする説、伊勢物語に出てくる三河国の八橋という橋を模した説、があります。いずれの説も元禄年間(1688-1704年)に原型が作られ、現在に近い形になったのは享保年間(1716-1736年)だそうです。
「正宗」を訓読すると「セイシュウ」となり、清酒に通ずるところから採用されたといわれています(諸説あり)。菊正宗は、元々“正宗”という名でしたが、江戸で大流行し正宗と名乗る酒が蔓延し多くの蔵元か名乗ることに、そこで菊を冠し「菊正宗」という商標が付けられることになったようです。創業は1659年(万治2年)。
「白鷹」は、霊鳥といわれる白い鷹に由来し、王者の風格と気品をもつ「鷹」に清酒の清らかさを表す「白」を合わせて命名。1862年(文久2年)に辰馬悦蔵が創業、1924年(大正13年)、伊勢神宮の大御饌(おおみけ/神様の食事)に白鷹の清酒が全国で唯一採用されました。1992年(平成4年)に白鷹(株)に社名を変更しました。
日本酒の詳しい記事はこちら→共に飲み交わす「日本酒文化」
空想の聖獣(霊獣)で縁起が良い「麒麟(キリン)」は、命名当時、海外のビールで動物名が多く用いられていたことにちなみ、かつ日本人に受け入れられやすい名称として導入したという(諸説あり)。この2代目ラベルはグラバーの提案でデザインされたといわれ、現在のラガービールやクラシックラガーの原型となりました。創業は1885年(明治18年)。
七福神の恵比寿様は商売繁盛・五穀豊穣の神様、しかも日本の神様と言われるのは恵比寿様だけという理由からヱビスビールになったようです。1890年(明治23年)に登場し、1900年(明治33年)にはパリ万博で金賞を受賞するほど品質の高いビールでした。1901年、恵比寿停車場という駅ができ、1928年(昭和3年)に恵比寿(元は下渋谷村)という地名になりました。
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屋号は創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字から採ったいとう屋の「いとう丸」と呼ばれるマーク、丸の中に「井桁」と「藤」を描いたもので、「井」+「藤」で「いとう」を表しています。「いとう呉服店」の創業は名古屋本町で1611年(慶長16年)、1768年(明和5年)に江戸に進出し上野広小路にあった「松坂屋」を買収して「いとう松坂屋」として開業します。
1673年(延宝元年)に三井高利が創業した越後屋。屋号は高利の祖父の時代まで「越後守」を名乗る武士であったことから「越後屋」としたそうで、人々からは「越後さんの店」と呼ばれていました。 その後三井家の姓を取った「三井呉服店」となり、1904年(明治37年)、「三」と「越」を取って「三越呉服店」となり、現在の「三越」に至ります。
三井財閥の先祖とされる三井高俊の四男・三井高利が創業した越後屋は1677年に「丸に井桁三」のシンボルマークを暖簾に使用しています。丸なしのマークは現・三井グループのロゴとして有名ですね。
世界をみると起源や歴史は古く、古代エジプト時代の発掘品や、古代ギリシア・ローマ時代の陶器などにみられる陶工標とよばれる標識などがありました。商標自体が財産権として認められ、法の下に保護される世界最初の商標法はフランスで1857年(安政4年)に制定されました。
それを言ったら、日本のもっと古い時代では、奈良時代に建築された東大寺の瓦に銘が刻まれていたり、鎌倉時代には刀剣に刻印(名前)が刻まれるようになるとあるので、人々は昔から、目印になるようなものを何らかの方法で表示することで自分が作ったモノをまわりにアピールしていたのですね。
商標権は、特許権や著作権とは異なり権利切れの期限があるわけではなく、更新料さえ支払えば永久に存続します。日本には老舗といわれる企業が世界一多いですが、やはりその商標には長年の信用が結び付いていて、その価値を無駄にしないために商品やサービスの品質向上にいっそう努力しようとするでしょう。そういう意味では商標権は強力な権利で責任が重いのかもしれません。なお、個人的に使用されるものは商標とはいえないそうです。
老舗の詳しい記事はこちら→日本の「老舗」は世界一多い!
出典:商標/Wikipedia
出典:商標/コトバンク
出典:立体商標
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