もう出会うことができない「昭和レトロ」
懐かしい写真を見ると、その時代が、具体的なその瞬間の映像が、頭の中で蘇りますね。中にはもっと前の時代がありますが、昭和レトロ感溢れるノスタルジックな懐かし画像をひたすら紹介します。
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チンドン屋は、チンドン太鼓と呼ばれる楽器を鳴らすなどして人目を集め商品や店舗などの宣伝を行う業者。昔、何回か見かけたけど煩かったような。
紙芝居自体は図書館にあったようですが、実際に紙芝居屋さんを見たことがなく、きっとこの時代では黄金バットなんかが人気だったのでしょうか。
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日本国有鉄道(国鉄/現・JR)が1964年(昭和39年)10月1日、東京~大阪間の東海道新幹線開業用に開発した初代の新幹線電車で、世界初の高速鉄道車両でした。2008年(平成20年)12月14日のさよなら運転をもって営業運転を終えました。小学生の時に初めて乗車し、ワクワク楽しかったことを思い出します。
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1957年(昭和32年)に開業した日本初のモノレール(懸垂式鉄道)で、上野動物園東園駅と西園駅を結ぶ営業距離300m(所要時分1分30秒)と日本最短の東京都が経営する上野懸垂線(うえのけんすいせん/上野動物園モノレール・上野モノレールとも呼ばれた)でした。老朽化などの理由で2019年11月1日より休止。
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左後方の白いビルは三越本店。1963年(昭和38年)に首都高が日本橋の上空をふさぐ前なので、すっきりしています。
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実は銭湯というのはあまり行ったことがなく、記憶にある限りでは数回でしょうか。しかし確かにお風呂上りの瓶入りコーヒー牛乳は美味しかったという思い出はあります。
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建物は1875年の国指定有形文化財。萬屋酒店入り口にある防火のための井戸手押しポンプです。おばあちゃん家にもありましたね、これで夏にスイカやらトマト・きゅうりを冷やすと美味しいのです。まるでトトロの風景ですね。
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昔はタバコ屋と駄菓子屋が併設されていた店があったように思います。ガラスケースに入っているタバコは知りませんが、じいちゃんにお駄賃もらって、たまにハイライトのタバコを買いに行かせられたっけ、などの思い出があります。
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あの独特な匂いがする昭和な床屋さん、小さな頃、父が行く床屋さんによく一緒にくっついて行って、そこのおじさんが、いつも棒についた丸い飴をくれたことを今でも覚えています。
スマートボールは、屋台や小さなゲームセンターにありましたね。唯一残っていた東京・浅草の専門店は2020年1月26日に閉店したとか。
あの当時、喫茶店に入ると必ずインベーダーゲームのテーブルがあったような気がします。なんとか撃ちの攻略方法があったような。
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赤いポストはたまに見かけますが、昭和な公衆電話ボックスや赤電話、昔ありましたね。1995年(平成7年)に磁気カード式の公衆電話になり、赤電話・黄電話が姿を消したようです。
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昭和レトロな裏路地というと、どうしても様々な飲食店が集まる新宿しょんべん横丁を思い出してしまいます。今では“思い出横丁”なんて風情がある名前で繁盛していますが、あと渋谷のんべい横丁、以前はバッチくて場末感満載でちょっとヤバい雰囲気の飲み屋横丁という感じでしたね。美味しいお店はありましたが、やはり普通のその辺にあるオヤジが行く居酒屋が落ち着くかな。
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このような写真風景は見たことがありませんが、銀座の小さい頃の思い出というと、やはり黄色いボディーのかわいい銀座線と、映画館、不二家のペコちゃん、デパートでのお子様ランチ、でしょうか。あと、ホコ天をたったかたったか走っていて「あれに座りたい」とパラソルの下の椅子を指差し、先に座っていたお姉さんから駄々をこねて席を無理やり譲ってもらうという思い出が…最悪な子どもでした(汗。
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画像出典:Flickr
画像出典:写真AC
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昭和レトロな、といえば、高度経済成長期という言葉が思い浮かび日本が元気だった時代。最近はその時代のことをアレコレ調べていると、現在と比べて虚しくなってくるのですよね。
なので、昭和レトロなとブログタイトルに謳っておきながら、江戸明治などの記事になってしまい申し訳なく思います。
パート2の記事はこちら→もう終わり、かもしれない「昭和レトロ」
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